「伝統の一戦」は原マネジメントの独り勝ち--。ペナントレースの勝負どころにきて、追い上げるどころか、首位巨人に引き離される一方の矢野阪神。28日現在、貯金2の2位というのに、チーム内外に漂う敗北感は半端ない。それもこれも、巨人に4勝12敗の大負けが原因だろう。13年連続の勝ち越しなしの現実に、85年の阪神日本一の元トラ番であり、元和泉市長の井坂善行氏(65)は「これだけベンチワークの差が出るとは…」と原マネジメントに脱帽する。

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巨人戦のテレビ中継を見ていて、両軍ベンチが映し出された時、その差を感じずにはいられない。阪神は試合展開によってベンチの雰囲気の起伏が激しいが、巨人は勝っていようが負けていようが、ベンチの雰囲気には重厚感みたいなものが伝わってくる。

原監督の戦術面での能力は、ここで触れなくてもいいだろう。4番にバント、大敗の試合では野手登板、あと1死でプロ初勝利の投手交代…、奇策といえば奇策だろうが、これだけ結果が伴えば批判は完璧に封じ込められる。

そんな中、今季の原マネジメントで一番驚かされたのは、戦術ではなく元木ヘッドコーチの病気による離脱に対し、阿部2軍監督をヘッド代行に「起用」した人事である。

果たして、阪神に、いや矢野監督にこの発想はあるだろうか。清水ヘッドコーチに代わって平田2軍監督が1軍のヘッド代行、である。もちろん、チームによって組閣の事情は違うから、そのまま当てはまるものではないかも知れない。しかし、これまでの球界の常識からして、1軍のヘッドコーチの代役に2軍監督を充てるとは、発想そのものが新鮮だし、首位をひた走るチームにも刺激を与えたことは容易に想像出来る。

4勝12敗。矢野阪神は原巨人に8も負け越して、チーム別戦績ではすでに対巨人は勝ち越しの可能性が消滅。これでは、いくら貯金2の2位と言っても「伝統の一戦」の名が泣く。

かつて江川との電撃トレードで阪神に移籍してきた小林繁氏と川藤OB会長の話は先日、高原編集委員が「虎だ虎だ虎になれ」のコラムで紹介していたが、私も現役時代の小林氏を取材していて、こんな話を聞いたことを思い出した。

「ミスタータイガースのカケ(掛布雅之氏)にも話したんだが、阪神も巨人も歴史はあるんだが、巨人にあって阪神にないものって何だと思う? それはね、伝統なんだよ。阪神には歴史はあるが、伝統がないんだよ」。

すでに鬼籍に入って10年がたつが、阪神と巨人でエースとして投げた小林氏の言葉が鮮明によみがえってくる。首位巨人を追う2位阪神だが、ゲーム差12・5も大きいが、今年の伝統の一戦は明らかにベンチワークの差が出て、12・5差以上の敗北感を感じずにはいられない。

○…あの小林繁氏の評論家デビューがニッカンだったことをご存じの方はいらっしゃるだろうか。83年限りで電撃引退。当時トラ番だった私に上司から「キャンプ期間中の臨時評論家を依頼してこい」という命が下り、芦屋にあるコンクリートの打ちっぱなしのしゃれたマンションを訪ねたのは引退直後の年末だった。

条件も何も言わずに臨時評論家をお願いしたところ、二つ返事で快諾してくれた。その代わり、「初めてのキャンプ取材だから要領が分からないので、お前がついてこい」が唯一の条件だった。

巨人のグアムキャンプをはじめ、約2週間、小林氏と一緒にキャンプ地を回った。なにしろ、人気者だったから、スタンドから練習を見ようとすると、サイン攻めに遭って取材にならなかったこともあった。

巨人を愛し、阪神が好きだった小林氏。「どっちも勝て」という思いで天国から伝統の一戦を見守っているのだろうが、4勝12敗の分析はやっぱり「伝統」ということになるのだろうか。

◆井坂善行(いさか・よしゆき)1955年(昭30)2月22日生まれ。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て、77年日刊スポーツ新聞社入社。阪急、阪神、近鉄、パ・リーグキャップ、遊軍を経て、プロ野球デスク。「近鉄監督に仰木彬氏就任」などスクープ多数。92年に大阪・和泉市議選出馬のため退社。市議在任中は市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任し、05年和泉市長に初当選。1期4年務めた。現在は不動産、経営コンサルタント業。PL学園硬式野球部OB会幹事。

◆小林繁(こばやし・しげる)1952年(昭27)11月14日生まれ、鳥取県出身。由良育英-神戸大丸を経て、71年ドラフト6位で巨人入団。サイドハンドの真っ向勝負でエースとして活躍。空白の一日をついて巨人入りした江川卓投手との交換で79年、阪神移籍。同年22勝、巨人戦で8勝無敗と活躍し最多勝と沢村賞。83年引退。通算374試合、139勝95敗17セーブ、防御率3・18。現役時代は178センチ、68キロ。右投げ右打ち。10年1月17日に57歳で死去。