「よく本当に頑張ったと思う」。ヤクルト高津臣吾監督が、入団当時から知る五十嵐亮太投手の現役引退を受けて13日、思いを明かした。監督コーチからも、後輩からも、ファンからも愛された五十嵐。「投球のスタイルもだけど、その性格もすごくさっぱりしていて、嫌みのないいい男で、先輩からも後輩からも愛される人間だったと思う」と話した。

高津監督が守護神として日本一を経験した翌年の98年、速球派の高卒右腕五十嵐が入団してきた。99年からは、ともに1軍で多くの時間を過ごした。石井弘寿(現1軍投手コーチ)と五十嵐の「ロケットボーイズ」の後を受けて、マウンドに上がっていた。高津監督が04年に米メジャーに挑戦するまでの5年間、どんどん成長する五十嵐の姿を見ていた。「18歳で入ってきて、球だけは速くて、全力で投げることしか知らなかった投手が、投球を覚えて、いろんな困難を乗り越えて一流のリリーフ投手になったことは、一緒にやった僕もすごく刺激を受けた投手の1人」と振り返った。

2軍監督を務めていた昨季、五十嵐が10年ぶりにヤクルトに復帰。2軍で調整する期間もあった。今年の春季キャンプ前、投手陣のリーダーに指名したのは五十嵐だった。チーム最年長であり、何よりもその性格面があったから。「現役の時はそんなにあまりそんな風に感じなかったが、僕が離れて、リリーフのリーダーになったときに、リーダーシップを発揮するとか、態度であったり、言動であったりというのは、リリーフだけじゃなくて投手にいい影響を与えたと思う」と感謝していた。【保坂恭子】