村上よ、負けじ魂でのし上がれ!! 東都大学リーグ歴代最多の監督通算542勝を記録した東洋大元監督の高橋昭雄氏(72)が阪神にドラフト5位で入団した村上頌樹投手(22)に愛情たっぷりのエールを送った。46年間の監督人生で最後の1年だった17年に東洋大に入学してきたのが村上だった。身長174センチだが、智弁学園(奈良)をセンバツ優勝に導いた好投手だ。大学球界の名将が、最速149キロ右腕の素顔を明かした。【取材・構成=酒井俊作】

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村上はいいよ。いいガッツしている。向かっていくところがあるんだ。村上の「負けじ魂」に火がついてプロで通用してくれたら面白いよね。体がちょっと小さいから、勝負に意気込み過ぎる。大きい子に負けたくないのがあるんだろう。体が前に突っ込んじゃうんだ。本当は、もっとゆっくり投げて相手打者が向かってくるくらいでいいのに、対等の力で戦おうとする。

だから、村上には言ったことがある。「あんまり力を入れないで自分のコントロールを信じて。バッターはそんな打てるもんじゃない、3割だぞ。7割失敗だよ、キミ。7割失敗の方で投球を組み立てなさい。力と力で勝負しない方がいいぞ」。ただ、甲子園で優勝しているだけあって勝負勘がある子だった。彼が入学して最初見たとき「ちっちゃいな。大丈夫かな」という印象で、プロまでとは思わなかった。でも、コントロールがある、駆け引きできる、変化球もある。1年生という感じじゃなかった。

けん制球も「ここで入れてほしいな」と思った場面でサッと入れるんだ。打者ばかりに向かっていかないで、もう少し余裕を持ってほしい場面で、けん制球を投げる。落ち着いて打者に向かっていく。そういうのができていたね。勝負のツボも心得ていた。このイニングを頑張らないといけない、この打者だけは打たれちゃいけないところをピシッと抑える。打たれて痛くないところも分かっている。計算ができるんだ。巨人で活躍した桑田真澄投手みたいだね。自分の投球だけに一生懸命じゃない、人を食ったようなね。桑田投手も背は高くないけど、丁寧だったな。

投げ方がキレイでバランスもいい。こちらがとやかく教えることはなかった。感心したのは丁寧に練習することだ。ブルペンで5人並んで投げても、雰囲気が違う。1年生でも全然、物おじしない。他の投手は投げるだけで精いっぱいなのに堂々と投げていた。ブルペンで100球なら最初から最後までキチッと投げる。これが本当の練習だ。村上は「コースに投げるぞ!」と捕手を見て投げる。1球1球つながっている。それができていた。

体が大きければ、力任せになりがちだ。2学年上に甲斐野(現ソフトバンク)梅津(現中日)上茶谷(現DeNA)がいた。アイツらもスゴイ。180センチを超えて150キロの球を投げる。でもブルペンは1球ごとに切れてつながっていなかった。彼らには言ったよ。「村上の投球、見てみろ!」ってね。小さいけど、シャキッとしている。周りの投手は村上のあかを煎じて飲めばいい。それくらい、自分でできる子なんだよ。

私は当時「体が小さいから」とか、本人には一切、言わなかった。まだ大学1年生。自信がなくなってもいけないからね。でも、背が低いからボールの角度をどうやってつけるかを考えなければいけない。彼はプレートを踏み換えていた。端から投げたり、真ん中から投げたり。こちらからは何も言わない。「この子、考えて投げてるんだな」って思ったものだ。

短所を指摘したのはランニングフォームだけだな。走る姿がへなへなしていてアスリートの走り方じゃない。投手は走り方が大事。バランスなど、すべて投球につながる。東洋大には格好の手本がいた。(陸上男子100メートル前日本記録保持者で東洋大在籍だった)桐生祥秀がよく外野の後ろで走っていてね。「暇があったら見ておけ。日本一のランナーだぞ。お前ら、ラッキーだ」と村上にもよく言ったよ。桐生もまた、一生懸命走ってくれるんだ。だいたい、ランニングで分かる。走り方がキレイだったら、野球がいいもんね。

これからが大変だよ、村上は。5位は5位だよ。1位とは全然違う。信用を得るために、大変な思いをする。ドラフト後、彼に言ったんだ。「コントロールで勝負できる、そういう投手を目指せ。150キロ投げるぞと思わず、お前はコツコツ、145、6キロでいいから、コースに投げて、焦らないでやればいいよ」と。クレバーな投手になってほしいね。インコースに思い切って投げたり、スライダーを放ったり、ゲームを作れる投手で、年間10勝前後で10年近くやってほしい。

阪神には西勇輝投手がいる。ああいう投手になれればいい。丁寧に自分のポジションをつかんで、球団に信頼される選手になってほしい。腐る子じゃない。絶対に辛抱できる。2軍キャンプスタートでも絶対に焦らないでやってほしいな。甲子園で優勝する投手は年間で2人しかいない。「球運」を持っているんだ。(東洋大硬式野球部元監督)

◆高橋昭雄(たかはし・あきお)1948年(昭23)6月8日生まれ、埼玉県出身。大宮工-東洋大-日産自動車でプレー。捕手として活躍。72年に東洋大監督に就任し、東都リーグ優勝通算18回。17年限りで勇退した。1部リーグ通算1040試合542勝476敗22分け。勝利数はリーグ最多。全日本大学野球選手権を4度、明治神宮大会を2度制覇した。達川光男、松沼博久・雅之、仁村徹、桧山進次郎、清水隆行、今岡真訪、福原忍、鈴木大地らプロ入りした教え子は40人を超える。

◆村上頌樹(むらかみ・しょうき)1998年(平10)6月25日、兵庫県生まれ。小学1年から「賀集少年野球クラブ」で投手として軟式野球を始める。南淡中では「アイランドホークス」で硬式野球を始め、3年時にジャイアンツカップ出場。智弁学園では、1年夏、3年春夏と甲子園に出場し、3年春は優勝。東洋大を経て、20年ドラフト5位で阪神入り。契約金4000万円、年俸720万円(ともに推定)。趣味はゲーム。座右の銘は「粉骨砕身」。174センチ、75キロ。右投げ左打ち。