日本ハム上沢直之投手(27)が、大ケガを乗り越えて2度目の開幕投手を務める。沖縄・名護キャンプ休日の15日、背番号にちなんだ15時15分に栗山英樹監督(59)から発表された。誕生日である6日に、指揮官からメッセージが記された本とともに通達されていた。3月26日開幕戦の相手は楽天(楽天生命パーク)。日本球界に復帰した田中将との投げ合いの可能性もある。

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練習休日にもかかわらず、ユニホーム姿の上沢が栗山監督とともにマウンドに上がった。15時15分。背番号にちなみ、開幕投手が発表された。「開幕戦という大事な役割を任せてもらえたので、心も体も技術も自分のマックスの状態でできるように頑張っていきたい」。覚悟は決まった。

27歳になった今月6日に、監督室で19年以来自身2度目となる大役を通達された。「それなりに準備はしていた。そこを目指してオフシーズン取り組んできましたし、任された時はうれしかった」。16年の同日には大谷が開幕投手に指名され、その年日本一に輝いている。栗山監督は「本当に迷いはこれっぽっちもなかった。あとは早く言ってあげた方が調整しやすいのかという話だけだった」と大事な一戦を託した。

通達された際、監督からは直筆メッセージが記された哲学に関する本を受け取った。「すごくおもしろくて。あと10ページくらい」。印象に残る内容は「型にとらわれないこと」。感想を問われ「監督の生き方っぽい感じがしました」と話した。

初めて開幕投手を務めた19年は、交流戦で打球が左膝を直撃。膝蓋(しつがい)骨が真っ二つに割れる重傷で選手生命の危機に立たされた。地道なリハビリを経て昨季はチームトップタイの8勝と復活。「僕が今こうなっているのはチーム関係者や家族が応援して支えてくれたので」と感謝の気持ちは忘れない。

3月26日の開幕戦は敵地での楽天戦。メジャーから復帰した田中将と初めて投げ合う可能性もある。まだ1軍登板がなく鎌ケ谷で汗を流していた13年、田中将は24勝無敗で楽天を日本一に導いた。「僕からしたら(田中将は)マンガの主人公。そうなれば、何も失うものはない。思い切って胸を借りるつもりで」。16日の中日との練習試合(北谷)で今季初登板する予定。「チームがしっかり勝てる状況にもっていけたら」。そのときへ向け、準備を整える。【山崎純一】

◆日本ハム上沢と楽天田中将 上沢の1軍デビューは、高卒3年目だった14年4月2日ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)。6回1失点で初登板初勝利を挙げている。同年ヤンキースに移籍した田中将は、その2日後となる4月4日(米国時間)にメジャーデビューし、こちらも初登板初勝利。つまり、NPBでは“すれ違って”おり、2人が同一試合で投げ合ったことは1度もない。

<栗山監督の開幕投手発表>

◆15年2月20日 高卒3年目の大谷が初の開幕投手。背番号にちなみ、午前11時11分に手紙を渡し伝えた。この日は巨人長嶋茂雄終身名誉監督の誕生日で「平成のミスタープロ野球」になってほしいとの思いを込めた。

◆16年2月22日 2年連続で大谷を開幕投手に指名。午後2時22分22秒と「2」を並べて、投打“二刀流”完成の願いを込めた。

◆17年3月16日 初の大役に選んだ有原は、大卒「3」年目で背番号「16」。この日に生まれた偉人、渋沢栄一著「論語とそろばん」に直筆メッセージを書き込み、手渡した。

◆19年2月12日 1次キャンプ地の米アリゾナで現地時間12日12時12分に、開幕1、2戦目の先発投手を同時発表。開幕投手の上沢には、誕生日2月6日付の手紙を挟んだ本を渡した。

◆20年2月21日 有原が2度目の開幕投手。午後2時21分21秒に「20勝を超えて欲しい」の願いで。夏目漱石が当時の文部省から博士号授与の依頼を断った日にちなんだ「漱石の日」。「(漱石が)肩書は要りませんと断ったように、周りの仲間たちを喜ばせて優勝させてやるんだ、という思いを今、航平が持っている感じをオレは受けた」と説明した。

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