歴史的V逸を物語る上で、外せない出来事があった。「JFK」の崩壊だ。藤川がセットアッパーでその能力を開花させたことにより、最強のトリオが完成。05年の結成以来、登場の順番は変化しながら、無敵を誇る。岡田阪神が生んだ「最高傑作」が4年目のシーズンに苦しんだ。

過去3年の登板数を並べると、いかにJFKがフル回転で働いてきたかが分かる。藤川=214、久保田=205、ウィリアムス=182。1年平均でシーズンのほぼ半分を投げている。これで勤続疲労がない方がおかしい。開幕直後にウィリアムスが左肩痛を訴え、1カ月以上も戦列から離れた。久保田は球にキレを欠き、3失点以上が4度と元気がなかった。藤川の安定感は変わらなかったが、芯(しん)でとらえられる場面が目立ち始めた。

相手も徹底的に研究してくる。ウィリアムスは8月31日の巨人戦で4点を失ったとき違和感を覚えた。「なぜこうなったのか分からない。調子は悪くない。フォームも悪くない」。翌日に来日以来初めて不振による2軍落ち。昼夜を問わず、自ら原因を考え、投球時の癖にあると結論づけた。修正に励んだが、調子を取り戻すことはできなかった。左打者の多い巨人打線で実力は発揮できず、猛追を許してしまう。藤川もシーズン最後の東京遠征でヤクルト打線につかまった。後でこう振り返った。「クセがばれていたから…」。昨年までとは違う、嫌な感覚でマウンドに立っていた。かつての威光は次第に薄れていった。

8月から中継ぎに転向したアッチソンの奮闘もあり、ブルペンはまだ耐えていた。しかし登板過多が力を奪う。指揮官の判断にも迷いが見られた。3日ヤクルト戦(神宮)。5点リードの7回から久保田を投入。しかし追い上げをくらうと、ウィリアムス、アッチソン、藤川の3人でも勢いをとめられなかった。まさかの逆転負け。「5点差でも、不調の久保田でなく、手堅くアッチソンから起用していれば、逃げ切れたはず。あそこを勝っていれば…」と采配を疑問視する声がチーム内にあった。

10月のヤクルト4連戦をしのげば逃げ切りVの可能性はあった。初戦を落としたことで結局、1勝2敗1分と痛恨の足踏み。力尽きた中継ぎ陣が、V逸の決定打となった。【阪神取材班】