浪花(なにわ)の夢は、うたかたと消えた。7年ぶりの優勝はならなかった。1992年9月11日、日本プロ野球史上最長試合となった甲子園の阪神―ヤクルト18回戦。9回裏2死一塁で、サヨナラ本塁打と判定された八木裕の打球がエンタイトル二塁打になり、6時間26分の戦いの末、3―3で引き分けた。

もしサヨナラ勝ちなら、その後、タイガースは歓喜のゴールに飛び込んだのだろうか。現在は阪神2軍打撃チーフコーチの八木は「ぼくはそうは思わない」と首を横に振った。

八木 それから約1カ月のペナントレースで、優勝へのチャンスは何度もあったんです。ヤクルトも負けた。でも、うちも負けた。全然打てなくなった。もっと打って投手を援護しなければならなかったのに。

幻本塁打の翌日、12日のヤクルト戦前、練習中に不思議なことがあった。

八木 また、同じ打球を打ったんです。打球がフェンスの上に当たってぽーんとはねてスタンドに落ちた。打撃練習でそんな打球を打ったことはなかったのに。ぼくも驚きましたが、打撃投手の球を受けていた西口さんもびっくりしていた。「昨日(11日)と同じやな」と言われました。

時間を巻き戻そうとしたかのような打球を打ちながらも、当事者の八木は、本塁打か否かの判定がシーズン2位の結果につながった可能性は否定した。監督だった中村勝広はどう感じていたのか。

中村 勝てなかったことは心残りです。しかしタイガースファンが戻ってきてくれたことが、うれしかった。あの年は確か、285万人を動員したと思う。低迷が続き、92年も春先はスタンドはガラガラだった。しかしチームが勝つにつれ、甲子園の雰囲気が変わった。忘れられないのは東京で4連敗し、残り2試合で甲子園に帰ってきたときのこと。試合の最中から甲子園の前売り券発売所前に人が並んで、二重三重に甲子園を取り巻いていた。ありがたいなと思った。

現在阪神GMの中村は、23年前の熱狂を思い起こしていた。

中村 期待され、支えられる一方でプレッシャーにもなる。よほどの精神力がなければ、タイガースでは戦えない。監督としては、甲子園で捨てゲームは作れない。タイガースで監督をやった経験者は、みんなそう思う。和田監督もそんな話をしていた。この球場はそういう球場なんだと。

現在の指揮官、和田豊は語る。

和田 タイガースは捨てゲームを作れない。甲子園では、勝たなければいけないんです。

他のどこにもない、特別な場所。甲子園を本拠に17年のプロ人生を全うした八木は振り返る。

八木 タイガースファンを味方につけられるようになるには、10年かかるんです。

ファンに育てられ、期待に応えてきた生え抜きの、誇りと感慨を込めた言葉だった。【堀まどか】(敬称略、おわり)