阪神密着コラム「虎になれ!」でおなじみの高原寿夫編集委員は95年のオリックス-ヤクルトの日本シリーズを“イチロー担当”として取材しました。26年ぶりに実現したこの対戦。「高原は見た」として、思い入れとともに語ります。

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我田引水だけど先月27日の日刊スポーツを見て「おっ」と思った。オリックスが日本シリーズに進出した場合、第6、7戦をほっともっと神戸で開催するという記事だ。いわゆる“特ダネ”。オリックス担当記者・真柴健に「ホンマなん?」と電話してしまった。

イチローを追いかけた95年の同シリーズ。グリーンスタジアム神戸(当時)でヤクルトに連敗し、乗り込んだ神宮球場でも負けて3連敗と一気に追い込まれた。4戦目はなんとか勝ったものの5戦目で力尽き、神宮でヤクルト指揮官・野村克也の胴上げを見た。

「神戸に戻れなくて、応援していただいた方々に申し訳ない…」。5戦で19打数5安打1本塁打の成績だったイチローは苦しそうに言った。日本一は逃しても「がんばろう神戸」の象徴となったオリックスの価値にいささかの曇りもなかったのだが、こちらも悔しい気持ちになったものだ。

イチロー擁するオリックスは翌96年、長嶋ジャイアンツを倒し、神戸で指揮官・仰木彬を胴上げ。前年の雪辱を果たした。その意味でイチローは見事に神戸に戻ってきた。

そんな歴史を間近で見させてもらったので神戸でのシリーズ開催は感慨深い。だが東京で決まれば神戸での試合はない。第1戦、オリックスの驚異的な粘りを見て「これは結構、あっさり決まるかも」と思った瞬間もあった。

だが、まあ、そう甘くはない。12球団最多勝利の阪神をかわしたヤクルトも強い。シーズンにもなかった高橋奎二の好投は圧巻だ。オリックス打線は単打5本だけ。これでは勝てない。

とはいえ「打線は水もの」だ。95年にしてもシーズンで目を見張るほど打ちまくったのはイチローだけ。他の打者は2割半ばぐらいでどちらかと言えば投手力のチームだった。今季のオリックス、投打のバランスはよかったけれど、打てない試合もあるだろう。

23日からのヤクルト主催試合、球場は東京ドーム。アマチュアの明治神宮大会の影響だがこれは縁起がいいかもしれない。95年は神宮で1勝2敗。96年は巨人相手に東京ドームで2勝。昔のことは関係ないかもしれないが天候に左右されないのはいい。

オリックスにとっては東京ドームで王手をかけ、神戸に戻るのが最高のシナリオだろう。悪くても3連敗さえしなければ6戦目は発生する。「神戸決戦」の可能性は高まった。(敬称略)

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