楽天からDeNAに移籍した藤田一也内野手(39)が、意外なベイスターズ愛を語った。日刊スポーツのインタビューに応じ、オーバーワークで右手首のけんしょう炎を患っていたことを初告白。いきなりチーム最年長となるが、成長株の森や牧の手本となる覚悟も示した。【取材、構成=斎藤直樹】
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-楽天から指導者のオファーがありながら現役にこだわった理由は
藤田 不完全燃焼だった。この年で難しいという気持ちはあったのですが、どこかでチャンスがあるならプレーしたいという気持ちがあった。DeNAから話があって本当によかった。
-不完全燃焼とは21年は1軍に1度も上がれなかったから
藤田 すべてにおいて。ファームで試合に出ていても自分のプレー、打撃ができていなかった。体はまだできるのではと思える部分があった。1回チャンスがあるならプレーヤーとしてやりたかった。
-来年は40歳になるが、できる確信がある
藤田 今年は春先のケガから始まったので。ケガがなければ、もう少しいいスタートが切られたのではないかというのがある。今年の反省を来年は生かしたい。
-ケガはどこを
藤田 右の手首です。キャンプ中に。けんしょう炎ですね。練習のオーバーワークで手首を痛めた。
-治ったのは
藤田 ちょうど1軍の開幕ぐらいだった。そこから2軍の試合に出てからスタートした。今年はキャンプでケガをしたのが一番大きかった。
-入団会見で「ベイスターズ愛」と言っていたが、四国の徳島から関西の近大で横浜ファンになりにくい経歴に見える。いつからか
藤田 大学生の時に横浜は、宮本(好宣)スカウトさんだった。僕をずっと追ってくれていた。台風の日も練習を見に来てくれていた。僕にずっと注目してくれて、2年生ぐらいから追ってくれていた。プロを意識したのは4年からですが、4年生の時は1年間、宮本さんが練習も試合もすべて見に来てくれていた。僕を信用して、獲得したいという気持ちがすごく伝わってきた。そういう人柄のスカウトがいる球団は、すごくいいチームだなと思った。入る時も、横浜以外は社会人と言っていた。入ってからもいいチームだし、街もいい街だし気に入っていた。このチームで強くなりたいと思っていた。横浜愛で8年プレーして、離れる時、トレードが決まって自分に腹が立った。ベイスターズで優勝できない悔しさがあって楽天に行った。
-宮本スカウトの熱意、街の雰囲気ですか
藤田 あと、鳴門の里浦スターズでプレーを始めたんです。小学1年生で野球を始めた時はスターズだし、プロの第1歩を踏み出したのはベイ“スターズ”。何かの縁なのかなと。今年は野球を始めて32年目ぐらいになります。
-スターズで始めてベイスターズで終わる決意
藤田 これで、そうなりましたね。(戦力外通告から)2カ月間しんどい思いして、声をかけていただいた。1年間しんどかったけど、この2カ月は心が折れそうだった。もう1度チャンスをくれて、やっとすっきりした。
-石井琢朗コーチとは一緒にプレーした間柄。学んだことは
藤田 契約させてもらいますと連絡しました。入団した時からずっと石井さんの背中を見てプレーしてきた。守備も打撃もすべて。広島に行くまで背中を見ていた。プロはこういうものだと教えていただいた。選手とコーチとしてプレーできるのはうれしい。選手だったので、コーチになってどういう声をかけているのか、僕にとっても勉強になるし楽しみです。
-石井コーチから感じたことは
藤田 レギュラーを張っている選手は強いなと。ケガしてもグラウンドではケガを隠してプレーしていた。相手に弱いところを見せないし、チームメートのライバルには(ポジションを)譲らない。隠して試合に出ながら治していた。ライバルにはチャンスを与えないと。これこそプロだなと。
-石井コーチのケガは具体的に覚えている
藤田 骨折までは分からないが、膝を痛めていた。それでもレギュラーとして、ロッカーでテーピングしている姿を見ていた。長年レギュラーとしてやっている選手は、そういうところまで強いんだなと。精神力がすごいなと思っていた。
-石井さん以外にも
藤田 肋骨(ろっこつ)を骨折しながらプレーしている選手もいたし、肉離れしていてもテーピングでぐるぐる巻きにして、ユニホームで隠して出ている選手も見てきた。こういう選手がレギュラー張るのだなと。僕も楽天でレギュラーで長くはなかったけど、1年間ケガなくいる選手はいないと思った。
-指導者として期待されている部分もある。牧秀悟や森敬斗といった有望株が二遊間にいる
藤田 一緒に切磋琢磨(せっさたくま)して一緒に成長してきたい。どういう伝え方、アドバイスをしてけばいいか分からないが、これからコミュニケーションをとって、何か1つでも小さいことでもプラスになる、成長するアドバイスができればいい。
-森はファームで見たことがある
藤田 見ていました。身体能力が高い。本当にうらやましい。1軍に上がった時に活躍している姿を見て、ポテンシャルがあると感じた。後半、打撃成績を落としたが、3割を打てるポテンシャルがある。今まで外からだったが、身近に一緒にプレーしながら見られるのは楽しみ。
-ポテンシャルは若い時の自分以上と感じる
藤田 比べたら失礼にあたる(笑い)。僕なんて全然。20歳で大学生の時なんて、失礼なぐらいの差があります。
-守備の確実性は森に足りない部分だと感じる
藤田 一緒にやらないと分からないし、後ろから見てみないと分からないので何とも言えないですが。若い時は自分も体が動いたが、ケガをしたり、年をとると、なかなか若い時の動きができなくなる。その時に困らないように「こういう練習しておけばといいんじゃないか」というのはある。(森に)合いそうなら伝えたい。
-同じ二遊間の大和も森にポテンシャルを感じると言っていた。現役プロ野球選手から見てもすごい
藤田 すごいですね。守備だけじゃなくて打撃もそう。あの年代であのスイングができるのはすごいし、あの体であのスイングができるのはすごい。ポテンシャルは日本を代表する選手になってもおかしくない。違うチームだったが、早く1軍に上がってどんなプレーするのか楽しみだった。野球ファンは注目をしていると思う。
-同じ二塁手の牧も新人で活躍した
藤田 打撃の印象がすごくあったが、あの体で守備もすごく柔らかい印象はあった。
-来年は牧と同じ二塁手で勝負する
藤田 (ポジションは)何も言われていない。内野すべてをやるつもりで、どこでも勝負できるつもりで準備していこうと思っている。ここ、というのは失礼と思うので。どこでも1軍で戦力になれるように、どこでもやりたい。
-ショートも含めて
藤田 言われたらやります。困った時に、いないとなった時に、「行けるか」と聞かれた時に、「はい、行けます」と言えるぐらいの準備をしていきたい。
-チーム最年長となる39歳で体のケアに何かしていることは
藤田 オフは太りやすいタイプなので。今年は出だしでケガしたので、体のコンディショニングに年末年始は今まで以上に気をつけて生活したい。
-お酒をやめるとか
藤田 お酒をやめる自信はないので(笑い)。お酒の種類やお酒の量を控えたい。食べ物も、体に優しいものを、あてにして。
-例えば
藤田 正月といえばモチじゃないですか。田舎なので毎年、実家でモチをついている。自分のためにモチをついているぐらい、食べている。朝はお雑煮から始まって、途中で焼いたりして1日2回ぐらいは必ず。これを何十年以上もやっているので、少し控えようと。今年はモチつくのやめよう。
-背番号3は誰のイメージ
藤田 やはり高木豊さん。同じ内野手で僕が野球を見始めた時、大洋では高木豊さんだった。そういう偉大な先輩内野手の背番号はうれしいけど、プレッシャーも感じている。ラミレスも一緒の時は3番だったし、カジ(梶谷隆幸)もつけていた。チームをけん引する選手がつけていたイメージ。プレッシャーを生きがいにして変えたい。
-三浦大輔監督との思い出は
藤田 三浦さんがすごいと思ったのは、現役の時からファンの方にすごくサインをする。そういう印象が強い。いつもサインを書いて帰っていた。自分が投げた日でも必ず。それをずっと見てきた。ファンにも選手にも愛される人は、こういうこともしっかりするんだな、見習わないと、と思っていた。ここ何年かはコロナがあってできませんでしたが、落ちついてくれば、僕もそういう姿を思い出してファンの方々と接したい。
-楽天時代に星野仙一監督から学んだことは
藤田 勝負事に対しての気持ちの入りようがすごい。ユニホームを着ている時と着てない時のオンオフが別人ぐらい違う。グラウンドに入る時は、僕もこれが勝負師だなと思っていた。おとこ気があるというか、いい経験をさせてもらった。監督にいろいろ学ばせてもらった。
-コーチとして影響を受けた人物は
藤田 編成部長をしている進藤(達哉)さんですね。プロ1年目の担当コーチだった。プロとして歩んでいく上で大切なことを学んだ。厳しかったが、その時の経験、練習が今も生きている。1年目で進藤さんと出会えて、教えてもらったことは今でも大きな財産になっている。
-具体的には
藤田 シンプルだが、僕はすごく体が硬かった。股関節の柔らかさ、使い方を大事にしていた。その時は悲鳴をあげるぐらいのストレッチをしていたのを覚えている。ノックが始まる前に必ずストレッチをしていただいて。
-相撲の股割みたいに
藤田 そうですね。あそこまでベたっという感じではないですが、本当に「痛い痛い」というぐらいのストレッチだった。今となっては、それで守備でうまくなったし、打撃でも股関節の使い方を意識するようになりました。