開幕からわずか1週間で、阪神が早くもデッドラインを越えた。

先発藤浪晋太郎投手(27)が自身初の1試合3被弾で4回6失点と炎上。遊撃レギュラーの中野拓夢内野手(25)が3回の失策後に懲罰交代でベンチに下がった。思いも寄らぬ「迷走」で、球団ワーストを更新する開幕7連敗。ここから過去に逆転優勝はおろかAクラス入りしたチームもない。残り136試合を厳しい状況で戦う。

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最終回の追い上げも実らず、球団ワーストを更新する開幕7連敗となった。先発藤浪が4回6失点と炎上し、味方野手が守備で乱れる。同じような試合展開で敗戦を重ねている。矢野監督は「大きなことを言えることは今はないけど、目の前のことを必死にやっていきます」と絞り出すように言った。試合後、大山、近本ら一部選手で「緊急ミーティング」を実施。22年のシーズンインからわずか1週間で、猛虎が窮地に立たされた。

非情采配もカンフル剤にならないのが、今のチーム状況だ。3点ビハインドの3回に先頭吉川のゴロに、遊撃中野がバウンドを合わせられず、今季2個目の失策となった。ピンチを招き、藤浪がさらに2点を失った。そして中野は4回裏の守りからベンチに下がった。

懲罰交代だった。矢野監督は「気持ちを感じないんで。球際に最近、ちょっと弱い。あいつの『気』が出ている感じがしない」と理由を説明。3月30日広島戦でもゴロをトンネルする痛恨の適時失策をしていた。この日は打撃でも2打席連続三振。4回の見逃し三振後に交代させ、矢野監督は「あいつも毎日試合に出ながら、気持ちを続けるのも簡単じゃないが、やっていかないと成長はない」と厳しかった。

首脳陣の思いも連敗ストップにはつながらない。3番マルテが足の張りのため、5回から途中交代。4番佐藤輝も無安打に終わり、打線は爆発力を欠いている。1点差の惜敗だったが、今ほしいのは勝利だ。最悪の開幕7連敗。過去にこの状況から優勝したチームはなく、Aクラス入りもない。この日は86年前、1936年(昭11)の「大阪タイガース」復刻ユニホームを着用した。グレーのユニホームの胸には黒字に黄色で縁取られた「OSAKA」の5文字が輝いている。伝統を受け継ぐ矢野阪神が、これ以上ない負のデータを突きつけられた。【石橋隆雄】

<大阪タイガース>

◆創設期の名称 1935年(昭10)12月10日に球団が創立した際の名称が「大阪タイガース」。当時の社名は「大阪野球倶楽部」だった。

◆名称変更 40年9月25日に、いったん親会社の社名「阪神」と変更。47年に再び「大阪タイガース」に戻し、61年から「阪神タイガース」へと変更。現在に至る。

◆戦績 大阪タイガースとしては通算2213試合を行い、1269勝897敗47分け、勝率5割8分6厘の好成績。37年秋と38年春には、現在も球団唯一の「連覇」を達成。年間1シーズンとなった47年にも優勝を果たしている。最後のシーズン60年には、9月26日国鉄戦から10月6日国鉄戦で閉幕するまで、6連勝で有終の美を飾った。

◆六甲おろし 佐藤惣之助作詞、古関裕而作曲の球団歌は、本来「大阪タイガースの歌」。サビの部分も「オウオウオウオウ~」の後に「大阪タイガース~」と続いていた。61年の球団名変更に際し、佐藤氏の遺族と古関氏本人の了承のもと、歌詞も変更した。

◆ダイナマイト打線 藤村富美男、別当薫、金田正泰ら強打者を擁した打撃陣を、日刊スポーツの高山方明記者が命名した。49年のチーム141本塁打は、1リーグ時代のプロ野球最多。

◆巨人戦 大阪タイガース時代には375試合を行い、166勝201敗8分け、勝率4割5分2厘。初対決の36年7月15日は8-7の「ルーズベルトゲーム」で勝利。2戦目の同年9月25日には、巨人沢村栄治にノーヒットノーランを喫した。

○…「7番左翼」で3試合ぶりにスタメン出場した糸井が、タイムリーを含むマルチ安打で気を吐いた。6点ビハインドの5回。1死二塁で巨人菅野の外角高め148キロを打ち返し、中前適時打とした。7試合を終え打率3割、チームトップの6打点と好調。チーム最年長40歳が、背中でけん引し続けている。