広島の新井貴浩新監督(45)が12日、マツダスタジアムで就任会見を行った。

テレビカメラ14台、スチルカメラ14台が向けられる中、新井監督は、もう真っ赤に染まっていた。「小さい頃から私もカープファン」と、晴れの舞台で選んだネクタイはもちろん赤。革靴、時計の革ベルトも赤だ。 「私は1回、カープを出ていますので。それでもまた球団に戻って来いと言っていただき、(現役で)3連覇もさせていただいて、球団には恩がある。私には(断る)選択肢はなかった」。4年連続Bクラスの5位が決まった9月下旬に監督就任の打診を受けたが、迷いはなかった。恩返しを果たすべく、鯉の指揮官として再建に全力を尽くす。

就任会見は“新井ワールド”全開だった。監督呼びは「むずがゆい」と拒否し、「基本的には『新井さん』で」とリクエスト。穏やかな雰囲気の中で所信表明し、笑顔も目立った。背番号について問われると「球団の方に何番がいいかと聞かれたので、(黒田博樹氏の永久欠番)15番をくださいと言った」と笑いも取った。つかみはバッチリだ。

自身が現役を引退した19年以降、広島はBクラスに低迷する。ただ、評論家として見てきた中で、チームの可能性も感じている。「投手も野手もこれからという選手がたくさんいる」「ポテンシャルの高い選手もたくさんいる」「若手選手全員に期待しています」。伝統の猛練習復活を予告しつつ、若手育成や機動力野球の再建など球団から託された使命を果たす構えだ。

広島の伝統を継承しつつ、新井さん流を取り入れて再建に挑む。「私自身も勝ちたい。勝つためにカープのために何がベストなのか。中期的、長期的なビジョンを頭に入れてやっていきたい。みなさんを喜ばせ、みなさんの気持ちを真っ赤に燃えさせるように頑張っていきたい」。新生新井カープ旋風で、セ界を真っ赤に染め上げる。【前原淳】

◆新井貴浩(あらい・たかひろ)1977年(昭52)1月30日、広島県生まれ。広島工-駒大を経て98年ドラフト6位で広島入団。強打の内野手として頭角を現し、05年に球団タイの6試合連続本塁打。07年オフに阪神へFA移籍。08年北京五輪日本代表。同年オフから12年まで労組プロ野球選手会会長。14年オフ阪神に自由契約を申し入れ広島に復帰。通算2000安打を達成した16年に、打率3割、101打点でリーグMVP。05年本塁打王、11年打点王。ベストナイン2度(05、16年)ゴールデングラブ賞1度(08年)。18年限りで引退した。実働20年の通算成績は2383試合、2203安打、打率2割7分8厘、319本塁打、1303打点。現役時代は189センチ、102キロ。右投げ右打ち。

〇…新井監督は会見終盤に自ら切り出し、広島、阪神時代の同僚で、監督の先輩にも当たる金本知憲氏(54)から連絡をもらったことを明かした。「“大変だと思うけど、まあ頑張れよ。何かあったら相談乗るぞ”と、珍しく真剣だったんですけど。その後に『私は車の運転、無事故無違反なんで。安心して後部座席に乗っていただけます』ってメールが来たことだけは報告しておきます」とニヤリ。専属運転士の申し出? に返信した内容は「丁重にお断りしました。危なくて乗れないんでね」と笑った。

〇…新井監督はヤクルト高津監督とともに、母校・広島工出身2人目のNPB監督となった。8学年上の高津監督は日本一とリーグ連覇を達成するなど、実績を残している。新井監督は「同じ高校からセ・リーグ2つの球団の監督が同時にいるというのは、すごく珍しいことだと思います。どう立ち向かっていくのかは今から考えたいと思いますけど、高校の先輩なんで、アドバイスをいただけるかなと思っています」と話していた。

▽広島鈴木球団本部長(新井新監督に)「和やかに厳しくやってもらえれば。コミュニケーションはうまく取れるだろうし、その中でケジメをつける人だから、そこは厳しいと思う」