日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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野村克也の野球ではなかった。星野仙一の野球でもない。阪神監督だった矢野燿大の野球は、ぼんやりとして、ついに“俺たちの野球”の実体をつかむことはできなかった。
それはレギュラーシーズンからなだれ込んだCSの土壇場の選手起用の迷いにも見てとれた。もがきながらも、頂点に立てないまま4シーズンに終止符が打たれた。
最も優勝に近かったのは、開幕から独走した21年だ。だれも栄冠を信じて疑わなかったが、最大7ゲーム差をひっくり返され、最終143試合目で悲劇のV逸となった。
ヤクルトと戦力的にも劣っていないが、“ここ”という場面で勝負勘が鈍った。それは矢野自身が発した「おれ自身も成長していかないといけない」という一言に凝縮された。
印象が強かったのは「矢野ガッツ」&「メダル掛け」だ。現役時代の捕手矢野はナーバスだったから、チームを束ねる身になってガラリとイメージが変わって見えた。
そのプロセスをたどると、ずっと理想の監督像を模索しながら采配を振っていたようにも感じられた。それがムード作りを演出しながらけん引する“俺たちの野球”だったのだろうか。
キャンプイン前日に今季限りでの退任の意向を示した。「予祝」としてナインから胴上げを受けた。だれも止めに入らなかったのだろうか。開幕もしていないのに、スキを与えたことは否めなかった。
ただし、チームの将来を見据え、若手を引き上げながら戦うことには意欲的だった。ドラフト下位の戦力を生かしながらの起用には“らしさ”が垣間見えた。
本来、監督のポストは、チームを任せるに足る力量があるかどうかを見極められて選任される。矢野は、失敗を恐れず、あきらめない野球を推進しながら戦ったが、力尽きた。
随分前に、解説者時代の矢野と一緒にテレビに生出演したときのこと。同じように監督交代の話題を振られた本人は「結果が全ての世界ですから」と厳しく突き放したのを覚えている。
矢野の言葉に偽りがないことを示した退任だった。そして“俺たちの野球”には何かが欠けた。その答えは新体制になった来季以降の結果となって見つかるのかもしれない。(敬称略)



