父が本気で育ててくれたから、憧れの舞台にたどりついた。
20日のプロ野球ドラフト会議で、巨人から4位指名を受けた創価大・門脇誠内野手(4年=創価)は、感謝したい人を問われると、迷わず「お父さんです」と答えた。
「小さい頃からずっと育ててくれたので。まずは結果で恩返しできてうれしいです」
その言葉を受け、会場で見守っていた父寿光(としみつ)さんはうれしそうに目を細めた。2人の夢がかなった瞬間だった。
寿光さんは門脇が3歳の頃から、男手1つで育ててきた。幼い頃から門脇は、家に転がるプラスチックバットに触れた。
学生時代はソフトテニスをしていた寿光さんだったが、息子のために汗をかいた。「座りながら片手でノックしました」。テニスラケットを振る要領で、優しくノックをした。
門脇は小学2年で野球チームに入ると、めきめきと力をつけた。高校は創価(西東京)へ進学。離れて過ごしていたが、高校2年の冬に寿光さんは「プロに行くためにもっと身体を大きくしたい。こっちでご飯をつくってほしい」と連絡を受けた。「それって本気?」と尋ねると、17歳の息子は「本気」とうなずいた。
「俺も子育てに本気になるしかない」。願いに応えるべく、門脇が高校3年の8月に仕事を辞め、9月から東京・八王子へ。寮生活を終えた息子と、一緒に暮らし始めた。
「周りには“冒険家”みたいなことを言われました。私も自分のことを変人やと思っています」。関西弁で笑いながら振り返るが、父親として思いがあった。
「こんなに可能性のある子どもたちを手放したくはない。やりたいことをやらせてあげたい」
東京ではスポーツ機器の開発をする仕事に転職。土日には「ほぼ全試合を見に行った」という。
本気の子育ては、大学で花開いた。1年時から試合に出場し、遊撃手のレギュラーをつかむと、3年秋に首位打者と打点王を獲得。4年春までに4度のベストナインを受賞するまでに成長した。
門脇は「おやじの行動力はえげつない」と口にしながら、「父の支えがあったので、プロに行きたいという思いは変わりませんでした」と感謝する。
夢の扉はついに開いた。追い求める選手像がある。
「全ての方々に応援される選手を目指している。ファンの皆さんに愛されるプレーや人間性を見せていきたいです」
覚悟に満ちた言葉を耳にし、寿光さんは言った。「いろんな方々に関わっていただいて。その思いがどんどん蓄積されて、今の言葉になったんだと思います」。
成長をかみしめる寿光さんの視線の先で、門脇はさっそく、小学生の頃に所属した西大寺ドリームズの野球少年たちとオンラインで顔を合わせていた。
「一流選手を目指して頑張るので、みんなも自分を超えられるように頑張ってください」
画面の向こうからは「応援に行くぞ! 頑張って!」と声が聞こえてきた。誰からも愛される人柄がにじみ出ていた。
憧れの舞台でも同じだ。門脇はもっともっとたくさんの人から、愛される選手になる。【藤塚大輔】
◆門脇誠(かどわき・まこと) 2001年(平13)1月24日、奈良県奈良市生まれ。小学2年から、西大寺ドリームズで野球を始める。高校では創価(西東京)に進学。大学では1年春からレギュラーをつかみ、2季連続ベストナイン獲得。3年秋には首位打者と打点王に輝いた。4年春までにベストナインを4度受賞。目標とするプロ野球選手は、日本ハム近藤健介外野手と元ヤクルト宮本慎也氏(日刊スポーツ評論家)。プロで対戦したい投手はオリックス山本由伸投手。50メートル5秒8、遠投107メートル。171センチ、76キロ。右投げ左打ち。