西武宮川哲投手(27)は「めっちゃ集中して投げてました」と、ブルペンの時間を振り返る。自分と捕手、打者役スタッフ、豊田投手コーチの4人のみ。南郷キャンプ第2クール初日、11日午後2時半すぎ。広い空間は、神聖さを感じるほどだった。

そこに、スッと入ってきた。気付かれないように、実にさりげなく。捕手後方の、端のイスに1人で腰掛ける。松坂大輔臨時コーチ(42)だった。存在感を消すように、動かず、宮川のマウンドさばきをじっと見つめた。差し込む西日が当たり、神々しかった。

「僕はもう、単純に人が投げている姿を見るのが好きなので。たくさん見て、今シーズンどんな活躍をするんだろうということをイメージしながら」

ユニホームを脱ぎ、セカンドキャリアは2年目に入った。「選手の皆さんがフレッシュに見えると、元気をもらえるというか、やりたいな~またやりたいな~という気持ちを持ちつつ」。見るのも好きだが、やっぱり投げたい。この日、何度もボールを投げるしぐさをした。

レジェンドは午前中もブルペンに長い時間いた。投球を終えた大曲錬投手(24)や佐藤隼輔投手(23)にアドバイスした。率先して教えにいったわけはもなく、質問を仁王立ちで待ったわけでもなく、どちらからともなく自然に。

大曲にはスライダーのことを質問された。「僕のスライダー、ちょっと大きいので」と、大曲は“小曲”を求めていた。変化球の握りや投球に対する考え方は教えるものの、押しつけることはしない。

「どういう意識を持ってボールを投げているのか気になったので、それを彼から聞いた上で、こういう意識でやってみるともう少しいい練習になる…かもね? っていう話はさせてもらいました」

いわゆる“教え魔”とは無縁な、さりげない会話のようなコーチング。「先輩だからとかっていうのも全然ないですし、あまり構えずに、気楽に友達感覚でもっと話しかけてきてもらっていいです」。多くの若手投手にとっての憧れの的は、話しやすい人だった。

「平成の怪物」と呼ばれるゆえんになった98年から、今年で25年がたつ。アドバイスを送った大曲が生まれた年でもある。横浜高校の大エースだった17歳は、多くの記録と深い記憶を日米球界に植え付け、現在は42歳になった。

「野球のこと、スポーツのことを勉強させてもらって。毎年毎年、勉強しなきゃと思っていますけど。(将来も)考えていることはありますけど、今は毎日が勉強だと思って過ごしていますね。年齢は関係ありませんね」

毎日が勉強-。臨時コーチの立場で訪れた古巣キャンプでも刺激を受けながら、生きざまを貫く。

「うーん、そうっすね…結局は自分がうまくなるために、今を見ているような気はしますね。引退はしましたけど、また野球がうまくなるヒントみたいなのを探しながら見ていきたいと思います」

生涯現役の心意気で、世界はいくらでも広くなる。【金子真仁】

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