西武中村剛也内野手(39)がプロ野球史上初、前人未到の通算2000三振に到達した。4回、楽天藤平から空振り三振を喫した。プロ22年目、通算7706打席目だった。しかし次の打席、現役最多を突っ走る通算460号本塁打が、左翼ポールに直撃した。ボール半個分未満の見極めで分かれる三振か四球か、はたまた本塁打か。経験と技術を凝縮しながら、残り「27」と迫る次なる節目、通算2000試合出場へ堂々と歩む。

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わざとだろう。中村はあえてスマイルマークのような顔を作って総括した。

「その見極めがあんまりできなかったので、僕は三振が多いと思います」

通算2000三振と通算460号が目立つ試合で、その本塁打の3球前、藤平の外角150キロのボール球への見極めに、中村剛也が凝縮された。カウント0-2。2001個目、もありえた球。映像でもベース板ぎりぎりの球。しかし。

「ボールですよ。自信持って見逃してます。あれ取られたら泣きます」

ボール何個分か。問いかけに「これくらいじゃないですか」と2本の指で約5センチの隙間を作った。重ねた三振、2000個。同じような球をストライク判定されたこともある。振ってしまったこともある。

「その時々の自分の状態であったり、投手の状態であったり、球質の違いであったり、そういうので。ストライクかもと思って途中で、あ~ボールだった、みたいな」

盟友栗山の通算1000四球を「すごい」と即答した男もまた、そのギリギリを見極め、三振と四球、長打の境界線で戦ってきた。

5センチを見極め、フォークを2つ見送り、フルカウントで内に来た148キロに上体をくるっと回転させた。三塁線上の大飛球を見つめる。「あの当たり方だと(ファウルに)切れないッスね」。左翼ポール上部に直撃の連日の6号2ラン。淡々と走りだした。

「基本は三振したくないので、誰もが。でも崩されて、当てに行くようなバッティングはしたくない。でも当てたらヒットになる確率も上がる。難しいんですよね。まだまだ追いかけていきます」

三振はしたくないが、スラッガーゆえに常に付きまとう。「悔しくないです。悔しいけど、悔しくないです」と両極を口にするのも1打席1打席で深い仕事をしているからこそ。1973試合出場で2000三振。「三振の方が多いんで、三振しないように頑張ります」とまたニコッ。あと108日で40歳。あと27試合で次の節目。積み重ねる全てが勲章だ。【金子真仁】

▼中村が4回に藤平から三振を喫し、プロ野球初の通算2000三振を記録した。初三振は03年9月28日日本ハム戦のミラバルからで、507人の投手から三振した。中村は「三振÷打席」で計算する通算の三振率が2割5分9厘で、「安打÷打数」の打率2割5分4厘よりも三振率の方が高い。三振は50~70年代に比べて90年代に入って増え、パ・リーグは昨年の6641個が最多。通算1500三振以上は90年以降に活躍した長距離砲で占められているが、その14人の中で試合数より三振数が多く、打率よりも三振率が高いのは中村だけだ。