阪神ドラフト1位森下翔太外野手(22)が、劇的なプロ初サヨナラ打で復活した。両軍無得点の9回裏2死一、二塁、広島森下から左前適時打を放ちヒーローになった。約1カ月の2軍生活で思い切りの良さを取り戻し、46日ぶりの1軍安打は自身甲子園初安打。固定できていない「6番右翼」奪取へ再び名乗りを上げた。チームは貯金を2桁の10に戻し、21日の同戦でカード勝ち越しを決める。

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苦しかった分、ウオーターシャワーが身に染みた。森下が先輩たちにもみくちゃにされ、ずぶぬれになった。甲子園の大歓声が胸に響いた。

「いや、もう、正直泣きそうで。それぐらい気持ちが入って今日は臨んだので、こみ上げてきたと思います。悔しい思いをずっとしていて、なんとか甲子園で打ってやろうと思っていたので」

両軍無得点の9回裏2死一、二塁。4番大山、5番佐藤輝とドラフト1位の先輩2人がつないでくれた。覚悟を決め打席に向かった。「自分が決めてやろう、と」。狙っていた初球。147キロをしばいた。19年日米大学野球でチームメートだった広島森下との「森下対決」を制す左前打。自身甲子園初安打がプロ初サヨナラ打になった。

「6番右翼」で開幕スタメンをつかんだが、20打席無安打で4月17日に出場選手登録を抹消。2軍で一から打撃を見直した。すり足気味だったフォームは、足を上げるようになった。思い切りの良さを取り戻すためだった。

「自分に求められることを考えたら、長打力が大切だなと。足を上げた方が体の中で勢いが出るし、打球は飛びやすくなる」

1軍投手の速球に詰まらないよう、始動も早くした。劇的な一打は足を上げ、森下の直球を捉えたもの。32日間の2軍生活で原点回帰した日々が、ここ一番で背中を押してくれた。

2軍合流当初、誰の目にも表情は暗かった。和田2軍監督が「まずは元気を取り戻させること」と言うほど、持ち前の明るさが不足していた。1軍の借りは1軍でしか返せない。46日ぶりとなる「Hランプ」を最高の場面でともし、甲子園で輝いた。

「本当にここから。自分の中でも引き締まる。今、6番を固定できていないと思うので、そこの座になんとかいけるように」

ミエセス、島田らと争う「6番右翼」のレギュラー奪取へ、堂々の決意表明。19日に再昇格後、即結果を残し、岡田監督からも「本当によく打った」とたたえられた。チームは再びの貯金10。悔しさを糧にはい上がってきた背番号1の強さは、本物だ。【中野椋】

〇…岡田監督は森下スタメン起用の理由を「(広島の)森下から鳴尾浜でヒットも打ってるし、対戦経験があるわけやから」と説明した。4月27日の2軍広島戦で森下と2打席対戦し左安を放っていた。降格時にはバットが出ない状態だったが、サヨナラ打は初球を仕留めた。「自然に反応してるんやろうな」と積極性が戻ってきたことを評価。「今日の勝ちはすごく大きい。一番大きいのは才木やで。負けていいわけじゃないけど、別に負けてもいいんやけどな」と笑いながら、3週間ぶりに先発する右腕のプレッシャーを和らげていた。

▼阪神のルーキー森下がサヨナラ安打。新人のサヨナラ安打は昨年9月25日の丸山和郁(ヤクルト)がDeNA戦でリーグ優勝を決める二塁打を放ち、スコア1-0で勝って以来。阪神の「サヨナラ打」は近本が19年7月20日ヤクルト戦(甲子園)で犠飛を放って以来だが、サヨナラ安打では島田の18年10月6日DeNA戦(甲子園)の右安以来。2リーグ制後、阪神の新人では今回の森下で9人目(10度目)。

阪神新人のスコア1-0サヨナラ安打は1リーグ時代に2度あり、41年11月2日名古屋戦の松下繁二(延長17回に左二塁打)、46年5月23日セネタース戦の富樫淳(9回に右前安打)に次いで球団77年ぶり3人目。

▼阪神森下が広島森下からプロ入り初のサヨナラ打。2リーグ制後、阪神のサヨナラ勝ちはこれで414度目だが、同姓投手からサヨナラ打を放った打者は球団初。

◆森下翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、横浜市出身。東海大相模では1年夏からベンチ入り。甲子園は3年春に4強。高校通算57本塁打。中大ではDeNA牧の2学年後輩にあたり、1年春に全試合出場でベストナイン。1、4年時に大学日本代表に選ばれ、1年時は森下暢仁(当時明大4年)とチームメートだった。4年春に2度目のベストナイン。大学通算9本塁打。22年ドラフト1位で阪神入団。182センチ、90キロ。右投げ右打ち、今季推定年俸1600万円。