18日に脳腫瘍のため28歳で亡くなった元阪神外野手・横田慎太郎さんの通夜が21日、鹿児島・日置市内で営まれた。
遺影には19年の引退試合直後に撮影された写真が使用された。ユニホーム姿で笑顔の1枚。「やり切った笑顔で、迷いなくこれで決まりました」と家族が選んだ。
以下、弔問に訪れた球団OBのコメント。
中谷将大氏「一緒に過ごした時間が長かったので思い出がありますし、最後に、5月くらいに少し体調がよくないということだったんで、会いに行ったんですけど、その時に顔が見られたので。もうほとんどしゃべれる状態じゃなかったので、言葉は考えながら、簡単に頑張れとは言えないですし、そういうことは考えてました。ほんとによく一緒にいたので、練習から。寮の部屋も近かったですし、一緒に寮で遊んだりしましたし、いろんな思い出がありすぎてって感じです。いるだけで場が楽しくなる、雰囲気が良くなる人だった。ずっと頑張ってきたので、あいつは。お疲れさま、ゆっくり休んでほしいとは思いました」
一二三慎太氏「何かあるたびに近づいてくる、かわいい後輩で、僕自身もいじりすぎたっていうのがあるんですけど、それでも嫌な顔をせずにやっている横田が印象的なのと、どんなきつい練習でも、僕はくじけそうになってるんですけど、一緒に強化選手だったので、笑って声を出してやってるところに救われたというか、心が折れかけてたけど、横田に負けんようにってなってました。僕が戦力外になってから横田が病気になったんですけど、連絡っていう連絡はしてなくて。去年の春くらいですかね、1年前ぐらい。久しぶり、元気してるか? って言ったら元気にしてますって返事だけ来て。じゃあ元気なんやと思ってて。18日にたまたまニュースを見てたら、そこで初めて知って。講演してるっていうのは知ってたので、すごい急でびっくりしました。僕はどんな苦しい思いをしたか分からないですけど、変わり果てた横田を見ると、すごい頑張ったんやなと、とにかくお疲れさまと言いました」
松田遼馬氏「2軍時代も一緒にやったし、いい経験も下積みもやってきた仲間。部屋も近くて、仲間以上というか、すごく思い入れが深い選手です。みんなが言っている通り、野球は真面目で、私生活では抜けた部分もあるけど、そういうのも横田らしいというか、楽しい思い出が多い印象です。お見舞いとかは行く機会がなかったんですけど、最初に手術明けにお見舞い行った時に、明るく僕らにも笑顔で接してくれたのを覚えています。連絡とったりはしてましたけど、直接会うのはそれが最後だったかなと思います。ゆっくり休んでほしい気持ちではあります」
西田直斗氏「(入団当時)ヨコは1年目で僕が3年目でしたけど、第一印象で言ったら、僕も都会っ子じゃないですけど、鹿児島の子やなと。かわいげがあって、『西田さん西田さん』って言って、よく話しかけてくれましたし、ご飯も行ったし、練習も一緒にしたし。なんでも一生懸命やる後輩だったので、しんどいことでも逃げずにまっすぐ野球に向き合う後輩だったので、僕も見習うところはありましたし。野球が休みの日は一緒に買い物行ったりとか横田との思い出はあったんで、まだ信じられないですけど、病気もすごいしんどかったでしょうけど、ヨコらしく最後まで病気と向き合って頑張ったんかなと。野球やめてからヨコに会えなかったんですけど、今日は絶対会いたいと思ってたので、会えてよかったですね。一緒に野球できて良かったと思うので、ありがとうという気持ちもありますし、ここからはゆっくり休んでほしいなと思って、でも、一番はありがとうという気持ちがあるので、それは伝えました」



