18日に脳腫瘍のため28歳で亡くなった元阪神外野手・横田慎太郎さんの通夜が21日、鹿児島・日置市内で営まれた。遺影には19年9月26日の2軍での引退試合後に撮影された写真を使用された。

ドラフト同期入団の梅野や元同僚、球団関係者から、多くの花が届けられた。野球場でデザインされた祭壇には、現役時代に背負った背番号24のユニホーム、横田さんの阪神のユニホームを着た写真、白と黄色の花で作られた阪神のロゴも飾られた。

阪神の宮脇ディレクター、スカウト、元同僚らが続々と参列。関係者は横田さんとの別れを惜しんだ。

父の真之(まさし)さんは「最後の最後まで、苦しむことなく、痛がることもなくですね、1日でも長く生きたい、最後まで頑張ろうという姿を見せてくれました。本当に頑張ってくれました。たくさんの人に慎太郎をかわいがっていただき、最後まで見守っていただき、本当にありがとうございました」とあいさつした。

球団OBも、横田さんと最後の別れをするために参列した。

先輩として横田さんをかわいがった中谷将大氏は「本当によく一緒にいた。寮の部屋も近かったですし、一緒に寮で遊んだりしましたし、いろんな思い出がありすぎて。お疲れさま、ゆっくり休んでほしいとは思いました」と話した。

現役時代は投手から野手に転向し、練習をともにした一二三慎太氏は「一緒に強化選手だったので、笑って声出してやってるところに救われたというか、僕は心が折れかけてたけど、横田に負けんようにってなってました。僕はどんな苦しい思いをしたか分からないですけど、変わり果てた横田を見ると、すごく頑張ったんやなと、とにかくお疲れと言いました」と語った。

1学年上の先輩だった松田遼馬氏は「2軍時代も一緒にやったし、いい経験も下積みする経験もやってきた仲間。部屋も近くて、仲間以上というか、すごい思い入れが深い選手。ゆっくり休んでほしい気持ちではあります」と思いを込めた。

プロで2年先輩だった西田直斗氏は「しんどいことでも逃げずにまっすぐ野球に向き合う後輩だったので、僕も見習うところはありました。野球が休みの日は一緒に買い物行ったりとか、横田との思い出はあったんで、まだ信じられない。病気もすごいしんどがったでしょうけど、ヨコらしく最後まで病気と向き合って頑張ったんかなと。野球やめてからヨコに会えなかったんですけど、今日は絶対会いたいと思ってたので、会えてよかったですね」とコメントした。

横田さんは13年ドラフト2位で阪神に入団。大型外野手として期待され、16年には当時の金本監督のもと開幕スタメンに抜てきされた。17年に脳腫瘍と診断され、19年に引退。引退後も闘病は続き、18日に28歳で亡くなった。

◆横田慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島実から13年ドラフト2位で阪神入団。3年目の16年3月25日、開幕の中日戦に「2番中堅」で先発し、1軍初出場。17年2月に脳腫瘍が判明し、18年から育成契約。19年9月22日に引退を発表し、同26日の2軍ソフトバンク戦(鳴尾浜)で引退試合を行った。父の真之氏はロッテなどに在籍した元外野手。現役時代は187センチ、94キロ。左投げ左打ち。