ロッテ佐々木朗希投手(22)が今回の石垣島キャンプで初のブルペン投球に向け、種市とキャッチボールをしている頃合い、2日の午前10時過ぎのことだった。
気温23度の石垣島から北東へ1926キロ、気温3度の東京・八王子市で、弟の佐々木怜希投手(18)は報道陣に対応していた。
進学予定先、中大のグラウンドで初めて体を動かした。黒いグラブをはめた。「兄からもらったものです」。大船渡高時代は遊撃も守ったが、2年秋からは投手に転向。今回の入寮で持ってきたグラブも投手用のみ。「大学でやるって決めた時は、投手でしかやりたくないと思ったので。投手一本です」。最速は143キロ。「プレッシャーもあるんですけど、レベルが全然違うので、あまり大きくは感じてないです」。自分の人生だ。志望校も自分の目で確かめて決めた。
プロ入り直後の兄はよく、弟に電話をかけていたという。面倒見が良く、学生時代から年下と積極的に接することに抵抗がないタイプだった。
朗希が次男、4歳下の怜希が三男。昔から兄弟でもよく遊んだ。弟は「一緒にパワプロをやったこととか」と思い出を挙げる。いつも先に好きなチームを選ばせてくれた。「優しいですね」。でも兄は特技の1つがパワプロ。最後はだいたい負けた。
道しるべを追い、上京した。野球は高校で終えるつもりだった。
「夏の大会終わるまでは大学で野球やるって考えてなかったんですけど。大学で普通に勉強して、その後の人生やっていこうかなと。悔しい結果で終わってしまって、そこから大学でも野球やりたいって」
穏やかに、落ち着いて、言葉をつむぐ。でもやっぱり兄と同じように、根っこには負けず嫌いがある。「野球でも野球以外でも今、兄に勝っていると思うところは?」と尋ねた。迷わずに笑って答えた。
「そうっすね、サッカーのうまさですね」
笑った感じがよく似ている。もっとでっかくなる。もっと幅を広げる。兄は兄、自分は自分。東京での4年間で夢を探す。佐々木怜希の人生をつくる。
弟が「ありがとうございました」と帽子を取って練習に戻った1時間後、兄はブルペンに入った。球春が訪れた。【金子真仁】