巨人が中日との接戦を制し、カード勝ち越しを決めた。先発の田中将大投手(37)は、5回2/3を2失点と粘りの投球。要所でスプリット、スライダーを低めにゴロアウトを重ねた。6回2死一、二塁からサノーに適時二塁打を許し降板したが、後続を2番手赤星優志投手(26)が断ち切った。田中将は「最後は詰めの甘い投球になってしまった」と反省も勝利投手に。野茂英雄氏に並ぶ日米通算201勝目をあげた。
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日米で「NOMOマニア」が生まれた95年。田中将は生まれ故郷の兵庫県伊丹市で野球を始めた。小学校1年、自分の意志で入団した「昆陽里タイガース」で坂本勇人と出会い、野球人生は30年以上が経過した。
「ニュースとかで見ていましたね。そういう記憶はありますね」。渡米した野茂氏がメジャーでの年数を重ねていく日々に、小学生の田中将は野球にのめり込んでいった。当然、フォークも、トルネード投法も。「いまね、みんな大谷翔平のモノマネをするみたいじゃないですか」。
タイガースでは自身は捕手、投手は坂本だった。ただ、「僕はずっとピッチャーやりたかったんです」。1人での壁当てでは投手になりきった。遊び心で、野茂氏のように体をひねることもあった。小さな手の指を大きく開いてボールを握ることもあった。みんなとワイワイの性格ではなく、黙々と練習をするタイプだった。1人、いつか試合で投げる日を夢見た。
「パイオニアとしてやられて、そこから日本選手の歴史がどんどんつながっていった」。田中将もその糸を太くした功労者に違いない。幼き時のあこがれに並んだ。あの頃、思い描いたマウンドの上で、いまも腕を振る。【阿部健吾】



