2018年3月31日、僕は40歳で初めてJリーガーになった。小学生の頃、卒業アルバムに夢はサッカー選手と書いた。その後、24歳で1度はJリーガーになることを諦めた。しかし、その15年後にもう1度挑戦することを決め、たどり着いた場所だった。

お金も地位も持っていたもの全てを捨てて挑んだJリーガーという憧れ。その夢がかなった瞬間のことは今でも鮮明に覚えている。人目もはばからず号泣した。

その日から半年後、僕は鬱(うつ)になった。39歳で全てを捨てて40歳でその夢をかなえたのになぜ? と思う人もいるだろう。僕自身もそれがうつだと受け入れるまでに時間がかかったくらいだ。うつになる要因はひとつではない。もっと言えば、そもそも何が原因かわからなくなるくらい自分を複雑に追い込んでいく作業そのものをうつと呼ぶのかもしれない。

アスリートにはうつになる人が多いようにも感じている。それは対人関係やプレッシャーによるものがほとんどだが、うつだと自覚した時にはもう遅いのである。僕の場合は、練習についていくのが必死で、とにかくチームメートの足を引っ張りたくないと思い始めたことがうつへのスタートだった。ただ、その前からさまざまなことが僕には襲いかかってきていた。

SNSでは「年俸10円なんてJリーガーじゃない」「あんなやつを認めるな」「コネで入ったに違いない」「便所掃除をさせておけばいい」など、たくさんの批判があった。この程度の批判であれば特にダメージはなく、たいして気にすることもなかった。アンチもファンだと思っていた。

しかし、ある時、チームメートから批判が出ていると聞かされることになる。僕はさすがに黙っていられなかった。文句があるなら直接言えばいい。「がんばれ!」「応援している」と言いながら、陰では文句を言っている選手がいた。揚げ句の果てにはSNS上で匿名で攻撃してくるクラブ内部の人間もいた。「姑息(こそく)な手を使って加入したに違いない、全部暴いてやるからな」と謎の批判も届いた。

赤の他人から言われるのはほぼほぼ気にならないが、それがチームメートやクラブ関係者となると僕のメンタルは大きく揺さぶられた。救いだったのは理解してくれるスタッフがいて、心から信頼できる選手が数人いたことだ。ただ、そういったプレッシャーを今度は本当にピッチ内で感じるようになってしまった。朝起きればやる気が出ず、練習に行く気もおきない。頑張ってクラブハウスに行っても、練習着を着たチームメートを見ると体中が硬直する感覚に襲われた。

しかし、僕はそれを誰にも見せるわけにはいかなかった。40歳のおっさんがうつになってサッカーができなくなるなんて、応援してくれている仲間にも顔向けができない。とにかく必死に耐えていた。その結果、練習ではいかにしてボールを受けないかを考え始めた。自分の良さが何なのかもわからなくなり、自暴自棄になった。

苦しかった。誰かに助けてほしかった。しかし、そんなことは言えない。このままではいけないと思い、毎日、鏡の前で「お前はやれる!大丈夫だ」と何度も何度も言い聞かせた。それを毎日繰り返して、鏡に映る自分の顔を笑顔にすることを徹底した。そのおかげかどうかはわからないが、徐々に体が硬直する感覚は和らぎ、サッカーを楽しめるところまで少しだけ戻れた。

そんな経験をした僕だからこそ思うことがある。大坂なおみ選手がうつを告白したが、その前の記者会見拒否では多くの人が批判していた。これでもかと好き勝手な意見を言いたい放題言い放った。しかし、大坂なおみ選手がうつだとわかると、手のひらを返したようにみんなが彼女をサポートしようとした。気持ちが悪い世の中だ。なぜ人は自分の正義が正しいと思うのだろうか。大坂なおみ選手の記者会見拒否をこぞって批判する理由は何だったのだろうか。

テレビやSNSをはじめとしたあらゆるメディアを見ていると、日本国内でも会見拒否への批判が多かったように感じた。こんな時こそ、日本の情や義理や仁の精神で彼女を支えてあげても良かったのではないか。うつで大変だから大坂選手をサポートするのではなく、そもそも大坂選手が日本のためにやってくれていることも含めて支えてあげたいと思えなければ、何も解決せずに終わる問題だと僕は思う。

どんなアスリートも人であり、心に強い弱いなど存在しないということを理解してもらいたい。意見を述べるのは自由ではあるが、知識もなく、ろくに調べもせず、勝手な正義感をぶつけるのは違う。今の世の中は誹謗(ひぼう)中傷であふれ、心ない言葉が日本人の持つ慈悲の精神を奪っていく。そんな歯止めのない連鎖を止めるのは政治家でもアスリートでも著名人でもない。僕ら1人1人が現代の当事者となって向き合うべきことだと思う。

僕は大坂なおみ選手の一件で、改めて日本が良くない方向に進んでいると確信した。その進行を食い止めるためにも、微力ながら少しでも多くの人に自分の思いが届くことを願っている。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設。21年4月に格闘技イベント「EXECUTIVE FIGHT 武士道」で格闘家デビュー。175センチ、74キロ。

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)