日本プロボクシング協会は5月19日を「ボクシングの日」と制定している。1952年(昭27)のこの日、東京・後楽園球場で白井義男さん(享年80)が世界フライ級王者ダド・マリノ(米国)に判定勝ちを収め、日本人初の世界王者になった。第2次世界大戦の敗戦から7年。日本国民を熱狂させたあの快挙から今年で70年を迎える。【取材・構成 首藤正徳】

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昭和を代表する国民的英雄なのに、偉ぶったところがまるでなかった。息子よりも年の離れた私に敬語で接し、宴席では率先してビールを注ぐ。同席者が恐縮する姿を何度も目にした。栄光の時代を知らない世代に、なお尊敬され続けた英雄だった。

30年ほど前、直接聞いたことがある。「なぜそんなに謙虚なのか」。白井さんは即答した。「世界王座を奪取した後、リングサイドの著名人や関係者にあいさつを終えた僕に、カーン博士が球場の最上段を指さしてこう言ったんです。ヨシオ、わずかな生活費を握り締めて応援に来たあの人たちの気持ちを忘れてはいけない。王者になっても謙虚な心を忘れるな、と」。

引退後、30年以上を経て、なお師の教えを貫くいちずな心。だからこそ苦難の時代に白井さんは世界王者になれた。快挙はカーン博士の存在抜きには語れないが、白井さんだからこそ、その厳しい指導を成就できたのだろう。「徹底した反復練習。左ジャブだけを2時間打つこともあった」と本人から聞いた。

引退後は事業に手を出すこともなかった。70歳をすぎて白井・具志堅ジムの名誉会長に就任したが、経営面は具志堅会長に任せた。「事業やジム経営は失敗もつきまとう。お前は日本人初の世界王者だ。後々まで日本の若者のお手本でいなければならない」というカーン博士の忠告を守り抜いた。白井義男さんは生涯を「世界王者」としてまっとうした。【元ボクシング担当 首藤正徳】

◆白井義男(しらい・よしお)1923年(大12)11月23日、東京・荒川区三河島生まれ。43年(昭18)に拳道会に入門。戦前は8戦全勝。その直後に召集され海軍に入隊。終戦翌年の46年に現役復帰。49年1月に日本フライ級王座、同12月に同バンタム級王座を獲得。52年5月19日、世界フライ級王者ダド・マリノ(米国)を下して、日本人初の世界王者となり4度防衛。通算成績は50勝(22KO)9敗4分け9EX(エキシビション)。引退後は解説者・評論家として活躍。03年12月26日、肺炎で死去。享年80。