国内最年長の現役プロレスラー、グレート小鹿(80=大日本)が、29日に肝臓がんのため亡くなったターザン後藤さんの急死を悼んだ。

小鹿は、後藤が大相撲の九重部屋の力士を引退して全日プロレス入りした80年当時の教育係。自身も出羽海部屋で力士生活を送った先輩で「たった半年で逃げ出しやがってと冗談で言ったら、体質が合わなかったと言っていたよ」。後藤の足の裏が土俵の土で切れやすく、そこに塩が染みて痛くて相撲に集中できなかったという。

「体の大きい選手が好きな馬場さんの目にはとまらなかったけど、素直で受け身がうまかったし、センスはあったね。静岡の島田市出身で母子家庭で『親孝行したい』と言っていた」としみじみと話した。

全日本プロレスの試合では、当時前半戦に行われるバトルロイヤルの引き立て役だったという。「受け身がうまくテクニシャンに育っていた。先輩たちに戦いやすいと重宝されていたよ。どんなワザを仕掛けてもケガの心配がなく器用だったから。決して自分が目立つということはなかったが、やられ役として会場を沸かせていた」という。

後藤さんが全日本退団後は、小鹿の大日本にIWAジャパンのエースとしてたびたび参戦していた。「(FMWの)大仁田のところに行って、才能が花開いたと思う。教え方もうまく、後輩を育てていたね。普通はこれまで頑張ってきたものが、1、2、3とジャンプして花開くものだけど、彼はそのあと、4回も5回もジャンプした感じだった。売れてきて、ちょっと生意気にもなったけどね」。

大日本プロレスでは初めて実施したタッグトーナメントの決勝で対戦した。「大阪の泉佐野だったかな。初めてのシリーズで盛り上げてくれた。鼻っ柱も強くなって、いいレスラーになったと思ったよ」。

最近は交流もなくなっていたが「ラーメン店の娘さんと再婚したと聞いていた。58歳で亡くなるなんて早すぎるよ。年の順番にいかないね。1人1人後輩が亡くなっていくのは、寂しい限り。残されたボクが、日々努力して1日でも長くプロレスを続けていきますよ」と胸の内を語った。

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