日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で理事会を開き、横綱日馬富士の暴行問題について、危機管理委員会から中間報告が行われた。

 以下、理事会後の会見における、高野利雄・危機管理委員長(元名古屋高検検事長)の説明。

 危機管理委員会委員長の高野でございます。本日、理事会におきまして、本件に関する中間報告をいたしました。この場で中間報告の要旨について、ご説明いたします。

 現時点では残念ながら、貴ノ岩の聴取ができておりません。しかし、日馬富士始め、白鵬、鶴竜ら多数の関係者ほとんどの者の聴取を終えました。従いまして、中間報告の段階ではありますが、相当程度、事実解明に至っていると考えております。なお、この場でご報告する内容につきましては、まだ警察捜査が終わっていませんので、細かな、誰がどういうことを言ってというのは、お話ししかねる部分があると、ご容赦願いたいと思います。

 始めに、これまで当委員会が把握した本件の概要について、ご説明いたします。本年10月25日の食事会、1次会としますが、これは鳥取城北高校の関係者が秋巡業に参加しました卒業生の力士を激励するために開いたものであります。1次会には白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱のほか、照ノ富士、貴ノ岩、石浦、そして高校の関係者も参加しております。従いまして、モンゴル出身者だけの集まりではありません。

 (貴ノ岩が)9月の場所中に都内の飲食店で当時、休場していた力士がその飲食店にいたということで苦言を呈しました。その苦言の呈し方によって(貴ノ岩の言い方が)これは粗暴な言い方だと、その場にいた客と口論になりました。1次会の終わりごろに、そのことについて白鵬が説教を始めましたが、その場は日馬富士が「休場している力士にそういう注意をすることは正しいことですよ」「間違っていませんよ」と話して貴ノ岩をかばい、その場は収まっています。

 日馬富士は父を亡くしています。貴ノ岩も両親を亡くしている。そういう境遇を知っておりますので、日馬富士は日頃から貴ノ岩をかわいがり、また、礼儀、しつけ、そういう指導をしたり、相談に乗り、あるいは食事をする関係にありました。

 続いて2次会に行くわけですが、これは1次会を主催した高校関係者が企画し、横綱を誘って、2次会の会場に行きました。この2次会は事前から決まっていたわけではなく、1次会が終わった後に決まった話であります。1次会に参加した者約20名ぐらいだと思いますが、ほとんどが、この2次会の会場に行きました。もっとも、この事件が起きた現場の個室には白鵬、日馬富士、鶴竜、照ノ富士、貴ノ岩、石浦のほか、高校の関係者ら約10名が入りました。

 2次会が始まったのちに白鵬が貴ノ岩と照ノ富士…この2人は鳥取城北高出身者でありますので、この2人に「お前さんたちがこうやって相撲を取って生活できるようになっているのは、高校の先生方にお世話になったからだ」「その恩を忘れないように、社会人としてきちんとした行動を取れ」と、このような説諭をしました。

 その際、日馬富士のそばにいた貴ノ岩がスマートフォンをいじっておりました。これに対して日馬富士が注意したところ、貴ノ岩は「彼女からのメールです」と言いました。日馬富士は、大横綱の白鵬が、今申し上げたような説教をしているさなかにスマホをいじったことに腹を立てると同時に…これまでかわいがってきた貴ノ岩ですので…なんでお前はそういう態度を取るんだと、謝罪させようとして顔を殴りました。そこですぐ貴ノ岩がすみませんと謝れば、その先にいかなかったと思われますが、貴ノ岩はそうせずににらみ返した上、謝罪もしなかった。そのため、日馬富士は貴ノ岩に対し「謝れ」と言うようなことを言いながら平手で十数回なぐり、さらにそばにあったカラオケのリモコンで頭を数回なぐっています。

 日馬富士はこの間にシャンパンのボトル(瓶)をつかんで、本人はおどすつもりだと言っていますが、振り上げています。ところが冷たい瓶だったため、水滴がついていて、するっと落ちました。従ってビール瓶とか、今申したシャンパンの瓶で貴ノ岩の頭部を殴打したという事実は、認められる状況にはありません。また、ほかの物、たとえば灰皿を投げるとか、そういうような行動にも至っておりません。その暴行の状況を見ていた白鵬がすぐに止めに入り、物を持ってやってはいけないと静止し、その暴行は終わりました。

 ところで、日馬富士は当日、日本酒を飲んでおりましたが、もともと酒は強い体質であることから、泥酔している状況ではなく、当時の記憶は比較的よく残っておりました。また、酒癖が悪いというようなことを言う者もおりませんでした。

 次にけがを追った貴ノ岩の負傷の状況ですが、頭部に裂傷があります。ステープラーと呼ばれる医療用ホチキスで縫うけがであります。相撲協会に提出されていた診断書を出した病院に確認したところ、頭蓋底骨折、髄液漏れの疑いと書いてあり、確認しましたが、それはあくまで疑いで、髄液が漏れていたということはないということでした。

 傷は全治2週間と診断書に書いてありましたが、これはこれは負傷した10月26日から11月8日までの2週間という意味でありまして、病状は状態が安定したと判断し、翌9日に退院させています。

 最後にモンゴル力士の交流について、若干のご説明をします。「モンゴル力士会」という、いわゆる生活互助会がかなり前からありまして、横綱がいくら、幕内がいくら、十両がいくらということで、場所後の力士会の後に集めて、これを病気になった力士のお見舞金とか、冠婚葬祭の費用、あるいはモンゴルの子どもが病気になった、支援を求められたときに支援金を出すというボランティア活動をしています。そういう意味でこの会は、言われているようなアスリート間で食事をするような会ではありません。ここ数年間はがんになった力士がいたこともあり、以前は残ったお金で忘年会もしたことはあったようですが、ここ数年間はしていないということも確認いたしました。