大相撲初場所10日目の幕下取組で、アクシデントが起きた。この事情の裏側と、取材して考えたことを記したい。

<事象> 湘南乃海-朝玉勢戦でのこと。最初の立ち合いは、手つきが不十分だったとみられ、行司が「待った」をかけた。しかし、頭同士がぶつかり合い、湘南乃海がフラフラになって立てなくなった。審判団が協議した後、本人の意思を確認して、取組をやり直し。湘南乃海が勝った。

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医師の診断は確認できていないが、おそらく脳振とうだったとみられる。この問題について、審判部の親方衆5人に聞いた。

この問題はウェブのアクセス数から判断すると、多くの人の関心事だった。ネットに書き込まれた意見の多くは、あの状態になった力士の取組を続行させたことを問題視するものだ。

「このことは記事にしなくていい。大げさにして欲しくない」と、保守的な考えを示すベテラン親方もいた。ルール作りが後手に回っている現状をネガティブに伝えられたくない気持ちがあったとみられる。だが、この親方も含めて5人とも、力士の健康面を案じ、新たなルール作りに前向きだった。

あの時、現場で審判をしていた親方は苦しい判断を強いられていた。判断の是非はともかく、決して強引に相撲を取らせたわけではない。

審判を務めていた玉ノ井親方(元大関栃東)は、物言いをつける場面ではなかったが、危ないと判断して手を挙げて進行を止めた。審判長を務めていた片男波親方(元関脇玉春日)は、イヤホンを通じてビデオ室とやりとりし、2番後に取り直すことができないかどうか模索した。不戦敗にすべきなのか。勝敗を左右する判断は、今後の番付はもちろん、力士人生にかかわることも考えられる。結局のところ、明確なルールがなかった。そのため、少し休ませた後に本人の意思を確認して取組を行った。健康面と運用面を気にしながらの、難しい判断だった。あの取組の時、審判部室でモニターを見ていた湘南乃海の師匠、高田川親方(元関脇安芸乃島)は、負けでいいから取組をやめてもらいたい旨を口にしていたという。

審判部の一部では、この日のうちに、あのようなケースでは取組を続行させるべきではないと口答で申し合わせた。詳しくは、初場所後に話し合うという。

果たして、取組で脳振とうが起きた時は、どうすればいいのか。「我々は医師ではないから、脳振とうかどうかはその場で判断できない」と指摘する親方もいた。今回のように立ち合い不成立で負傷した場合、医師がいたとしても短時間で診断できるのか。仮に審判長に判断を委ねた場合、公平性が保たれるのか。勝敗が決まった取組で負傷することもある。脳振とうが起きた場合、他競技では一定期間、試合に出場できない規則もある。これを大相撲に導入した場合、極端な例になるが、優勝がかかった千秋楽に突如、出場できなくなるケースもあり得る。

大相撲はスポーツであり、興行であり、神事である。精神修行の場でもあり、純度100%のスポーツではないから、こういった議論は遅れがちになる。ただし、すでにAEDは全部屋への設置が義務付けられ、講習も積極的に行ってきた。2019年7月には、急に倒れて心臓が一時止まった出羽海親方(元幕内小城ノ花)を、弟子がAEDで救った。すべてをないがしろにしてきたわけではない。

個人的には、あいまいさ、おおらかさが適度に残る角界の空気感が好きだ。だが、安全面は優先的に話し合っていいと思う。【佐々木一郎】