欧米人は、マスクが嫌いなのだ。アジアの人たちは、マスク着用を気にしないが、その背景には歴史あり。アジア諸国には、昔から伝わる「仮面劇」がある。農耕民族の国では「仮面劇」が親しまれ、狩猟・遊牧民族の系譜をもつ欧米人はマスク(仮面)を好まない。

数十年前、「ヘンシーン!」というウルトラマンのポーズが大流行した。顔を隠す行為は変身であり、その人物が他者へ転じる意味をもつ。そのおもしろさが「仮面劇」にある。農耕民族は定着していて移動せず、毎日同じ景色、交流する人間も同じ、そこから逸脱する意味で、変身願望を膨らませてきた。

日本には能や神楽(かぐら)をはじめ、秋田のなまはげのごとく祭りの際に面をつける芸能や行事が多数ある。匿名性と神秘性は、古来より農耕民族間では面が大きな役割を果たした。

プロレス興行では、マスクマンのレスラーの存在がファンを魅了し、興奮をもたらす。顔を隠すため、感情を見せず不気味こそが商品となり、虚構性を増幅させる。有名人が色メガネで顔を隠すのは、自己消滅と自己顕示欲を増大させ、神秘性を生む。有名人やスターは、大衆の眼前では神秘性を膨らませ、非日常的な存在であらねばならない。

マスクマンレスラーは、メキシコに多い。タイガーマスクの佐山聡は、器用さと実力を備えていたばかりか、独自の創造力があった。ヒール役でなく、ベビーフェースでファイトできたのは、並のマスクマンを超越していたからだ。とくに技術の基礎が違っていた。

佐山聡の失敗は、マスクを脱いで正体をバラしたこと。リング外でも日常生活でもマスクマンに徹するべきであった。匿名性と神秘性を喪失させれば並のレスラーとなる。猪木や馬場と肩を並べる偉大なレスラーになれたのに残念。東京・三軒茶屋で佐山が道場を開いた折、私も協力したが、彼の頭の回転の速さに驚いた。

コロナ禍によって、表情を見せない姿が普遍化しつつある。世界中がマスクマンになってしまった。