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石原裕次郎賞-「劔岳 点の記」木村大作監督

木村大作監督
マイクなしで喜びを語る木村大作監督(撮影・蔦林史峰)

【授賞式記事】

 木村監督は受賞のあいさつを求められても、マイクに近づかなかった。DVD3枚を左脇に抱え、大声を響かせた。「皆さんから(表彰盾などを)いろいろ頂いたので、劔岳のDVDをまき子さんと渡さん、舘さんにあげたい」。壇上で裕次郎さんの妻まき子さんに手渡し、異例の“地声あいさつ”を始めた。

 裕次郎さんが生きていれば、この日が75歳の誕生日。5歳上の先輩映画人への熱い思いを吐露した。「日本映画界で同じ時代を歩んだ人です。五社協定で映画を自由に作れない時代に、果敢に映画作りに挑戦して『黒部の太陽』を作ったんです。『劔岳 点の記』の映画作りにも、そういう意味があります」。標高約3000メートルの劔岳(富山県)に実際に登り、計200日間の過酷な長期ロケを敢行。裕次郎さんの映画作りをダブらせた。

 地声にこだわるのは、理由があった。「2000人ぐらいの講演だったら、マイクを使わない。生の自分が出る。地声で腹にあるものを全部出す。マイクを通すと『うまく言おう』と考えちゃう。今は何でも物に頼りすぎだ。映画の現場もそうだよ」。CGに頼らず、本物にこだわる姿勢は、壇上でも同じだった。

 まき子さんから賞金300万円を贈られ、「映画人冥利(みょうり)に尽きますね。ワンカット、ワンカットが素晴らしかった」とほめられた。「鶴瓶さんに300万円は何に使う? と聞かれましたが、僕はビタ一文使いません ! (笑い)」。一緒に山に登った俳優やスタッフをねぎらうつもりだ。【柴田寛人】

[2009年12月29日 紙面から]

 ◆「劔岳 点の記」 作家の新田次郎氏が77年に発表した同名小説が原作。1907年(明治40)、陸軍陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎(浅野忠信)は「日本地図最後の空白地点、劔岳の頂点を目指せ」と命令される。当時、陸軍によって登頂されていないのは、その険しさから「針の山」と呼ばれる劔岳だけ。柴崎らは山の案内人、宇治長次郎(香川照之)らと頂への登り口を探す。

 ◆木村大作(きむら・だいさく)1939年(昭和14)7月13日、東京都生まれ。58年、東宝撮影部にカメラ助手として入社。黒沢明監督の下で映画作りを学ぶ。73年「野獣狩り」で撮影監督デビュー。77年「八甲田山」で日本アカデミー賞優秀技術賞を受賞。81年「駅 STATION」、89年「あ・うん」、97年「誘拐」、01年「ホタル」などが代表作。03年秋に紫綬褒章を受章。

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石原裕次郎賞・石原裕次郎新人賞とは
 1987年(昭和62)に亡くなった、戦後を代表するスター石原裕次郎さんの遺志を引き継ぎ、日刊スポーツ映画大賞に併設。石原プロモーションが運営に全面協力している。その年に最もファンの支持を得て、スケールの大きな作品に贈られるのが石原裕次郎賞。裕次郎さんをほうふつとさせる将来性豊かな、映画デビュー5年以内の新人に贈られるのが、石原裕次郎新人賞(今回は該当者なし)。賞金は各300万円、100万円。




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