歌舞伎俳優で日本舞踊坂東流家元の坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう、本名・守田寿=もりた・ひさし)さんが21日午前、すい臓がんのため都内の病院で亡くなった。59歳だった。2013年9月にすい臓がんの摘出手術後、昨年4月に舞台復帰した。しかし、9月に、12月に予定した主演舞台の降板を発表。治療に専念したが、再び舞台に立つことはかなわなかった。大親友の中村勘三郎さんに続いて、歌舞伎界は次世代の大きな柱を失った。

 すい臓がん公表から1年半、あまりに早い死だった。昨年9月、三津五郎さんは12月に主演を予定した舞台「芭蕉通夜舟」を「加療の必要あり」とのドクターストップで降板した。当時、がんの再発や転移でないとした上で「再び良い舞台をお見せできるよう努力してまいりたい」とコメントしたが、実は定期検査で肺に転移したことが見つかっていた。それでも、治療を続ける一方で、テレビ朝日系「世界の街道をゆく」のナレーションの仕事を続け、10月27日には最後の舞台となった国立劇場の舞踊会で踊りも披露した。

 今年元日、ホームページで「病気を経て小康を保っている今年は『あ~、今年も新しい年を迎えられて良かったなぁ』と、心の底から新年を迎える喜びが立ち上がってくる」「1月は私の誕生月。23日の誕生日にはなんとか59歳を迎えられそうだという喜びも重なってまいります」と心境をつづった。正月の浅草歌舞伎に出演する長男坂東巳之助に稽古をつける姿がテレビで放送もされた。しかし、1月末にインフルエンザにかかり、肺炎も併発したため緊急入院した。それでも、2月6、7日に一時外出の許可をもらい、都内で行われた坂東流名取試験に家元として立ち会い、7日の試験前には都内の自宅でNHKBSプレミアム「美の壺」(27日放送)のインタビューも受けた。17日から容体が悪化し、21日未明、家族にみとられて静かに息を引き取った。

 踊りの名門である坂東三津五郎家に生まれた。歌舞伎だけでなく、映画やドラマにも出演し、日本舞踊坂東流の家元としても活躍した。同年代の中村勘三郎さんとは大親友で、一緒になって歌舞伎座「納涼歌舞伎」を立ち上げた。

 しかし、13年8月にすい臓がんを公表。同9月に約4時間にわたる、すい体尾部と脾臓(ひぞう)の摘出手術を受けた。退院した10月の会見では「病に打ち勝つ努力を続けたい」とがんと闘う決意を明かした。

 翌年4月の舞台復帰を前にした取材で大好きだった酒、たばこをやめ、健康的な生活を送っていると話し「生かされていることに感謝」と復帰を喜んでいた。最後となった歌舞伎の舞台は勘三郎さんと始めた8月の納涼歌舞伎で、勘三郎さんの孫とも共演した。勘三郎さんは57歳、そして三津五郎さんは59歳。天国に旅立つにはあまりにも早すぎる。

 ◆坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう)1956年(昭31)1月23日、東京都生まれ。本名は守田寿(もりた・ひさし)。9代目坂東三津五郎を父に持ち、1歳で明治座「傀儡師(かいらいし)」で初お目見え。62年に6歳で5代目坂東八十助を襲名し初舞台。01年に10代目坂東三津五郎を襲名。日舞坂東流の家元でもある。09年に紫綬褒章を受章。ドラマは06年NHK大河ドラマ「功名が辻」や14年「ルーズヴェルト・ゲーム」、映画は06年「武士の一分」や08年「母べえ」などに出演。83年に元宝塚女優の寿ひずると結婚し2人の娘と長男を授かるも97年に離婚。98年に元アナウンサー近藤サトと結婚したが00年に離婚した。