連載「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」の新浜レオン(25)の第2回は「歌手新浜レオン誕生」です。

父親は演歌歌手で、その背中を見て育ちました。小さい頃から野球一筋。何事にも全力を尽くすスポーツマンシップを身につけました。「第7世代」をけん引する若き歌手の誕生ストーリーを、日刊スポーツ笹森文彦記者に明かしました。

新浜レオン(2021年6月撮影)
新浜レオン(2021年6月撮影)

新浜に「歌手になろうと思ったのは、いつごろですか」と聞くと「もしかしたら、生まれた瞬間から思っていたのかもしれませんね」と笑った。確かに、この世に生を受けた時から、レールは敷かれていたのかもしれない。

父親は演歌歌手の高城靖雄。CM「は・か・た・の・しお!」(伯方の塩)のイメージキャラクラーを長年務めた。昨年デビュー40周年を迎え、今年4月に新曲「酒と」を発表した。新浜は父の背中を見て育った。

新浜 小さい時から家族で車に乗っていると演歌が流れている環境でした。姉と弟がいるんですけど、歌一筋で僕らを育ててくれる父の仕事っていいな、と単純に思っていました。

父のステージで「マツケンサンバ」を踊った(10歳)
父のステージで「マツケンサンバ」を踊った(10歳)

7歳の時に初めて父のステージに立ち「大きな古時計」を歌った。10歳の時には「マツケンサンバ2」を踊ったこともあった。歌は父譲りで上手だったが、当時はもちろん“お手伝い”のレベル。その後、野球に熱中していく。

新浜 千葉マリンスタジアムに父と野球を見に行って単純に「いいな」って。その後、試しに体験入部した少年野球の初打席でライト前ヒットを打って、それをきっかけに、小学校2年生から野球をやるようになりました。

少年野球で投手を務めた(11歳のころ)
少年野球で投手を務めた(11歳のころ)

6年生の時には市の選抜野球チームにも選ばれた。卒業文集の将来の夢に「プロ野球選手」と書くほど、野球にのめり込んだ。

新浜 プロ野球に登場曲ってあるじゃないですか。僕がプロ野球選手になって、バッターボックスに入る時に父の曲を使いたい。そして父もPRしたいというのが、僕の夢の1つでもあったんです。

日刊スポーツ2013年7月7日付の紙面に掲載された元気いっぱいの新浜の写真
日刊スポーツ2013年7月7日付の紙面に掲載された元気いっぱいの新浜の写真

千葉英和高2年の時に県大会ベスト4に進出した。新浜の活躍は当時の日刊スポーツの高校野球面にも掲載された。そして最後の夏に主将、捕手、6番打者として甲子園を目指したが、4回戦で敗退し、夢は破れた。

新浜 高校野球を引退してぼうぜんとする日々が続いた中で、あらためて父はどういう仕事をしているんだろうと思った。家で弱音を吐くところなんて1度も見たことなく、息子として尊敬していましたし、自分の中で父はスターだと思っていました。それでカバン持ちというか、手伝うことにしたんです。

だが現実を目の当たりにする。新曲のレコーディングに付いて行った時、父がディレクターから「そんな歌い方、やめろ!」と強い口調で言われている姿を目撃した。

新浜 今まで感じたことのなかった、何て言うんでしょうか、悲しみというか。息子として見てはいけないところを見てしまったというか。今までにない感情になって、歌の世界の厳しさ、大変さを初めて知りました。実は進路について家族会議があった時に「歌手になりたい」と言ったんです。そしたら母が猛反対して。小学校から高校3年まで、朝早くから山盛りのお弁当を作ってくれたり、泥だらけのユニホームをいくら遅くなっても洗ってくれた母が「そんなこと言うのやめなさい!」って。父と二人三脚での苦労を知っている母だからこそ、同じ道に行かせたくないのだろうと思いました。

父は大学進学を勧めた。「今すぐに決断せず、4年間、大学で過ごして、それでも歌手になりたいなら挑戦すればいい」。母も同じ意見だった。野球での推薦入学の話も来ていたが、歌手を目指す気持ちを胸に、大東文化大に進学した。

大きな自信と転機になったのが、3年の時に出場した大学の「ミスターコンテスト」だった。自己PRのコーナーで、客席を練り歩きながら「青春時代」(森田公一とトップギャラン)を歌った。野球で培った全力投球のパフォーマンスとスポーツマンらしいさわやかさが奏功し、見事にグランプリを獲得した。

新浜 大学に入ってからも父の手伝いをしていました。ディナーショーで、お客さんと握手しながら歩いている光景を見ていたんです。これって若い人にやっても受けるんじゃないかと思って。学生は驚いていましたけど、先生方には受けました(笑い)。

この時、今につながる「使命」を感じたという。

新浜 コンテストの時に「青春時代」を知らない学生もいたんですけど、次の日からカラオケで「青春時代」はもとより「星降る街角」などを、(学生が)みんな歌うようになったのを見て、あっ、これだと。こういった名曲はみんな聴く機会がないだけで、聴いてもらえれば、こんないい曲があったんだと捉えてもらえる実感が、僕の中に生まれた。そんな歌手になりたい。決意は確固たるものになりました。

チャンスを切り開こうとレコード会社や音楽制作会社などにデモテープを送り続けた。演歌からポップスまで幅広いジャンルのデモテープを送った。そのジャンルにとらわれない姿勢に興味を持ってくれたのが、大手音楽制作会社でアーティストのマネジメントも行う事務所「ビーイング」だった。レッスンを積み重ね、「歌手新浜レオン」は誕生した。

◆新浜(にいはま)レオン 1996年(平8)5月11日、千葉県白井市生まれ。大東文化大国際関係学部卒。B'z、ZARD、大黒摩季、倉木麻衣らが所属する音楽制作会社「ビーイング」から、令和最初の日の19年5月1日に「離さない 離さない」でデビュー。同年末の第61回日本レコード大賞新人賞、20年2月発表の第34回日本ゴールドディスク大賞ではベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティストを受賞。第2弾は「君を求めて」。5月12日発売の両A面新曲「ダメ ダメ…/さよならを決めたのなら」はオリコンの週間演歌・歌謡シングルランキング1位を獲得。座右の銘は「真実一路」。趣味は釣り。血液型AB。