連載「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」の藤井香愛(33)の第2回は、前回に続いてデビューまでの道のりに、さらに詳しく日刊スポーツ笹森文彦記者が迫ります。東京ヤクルトスワローズの公認パフォーマンスユニットのメンバーとして活動して時期もありました。

秋の花々が咲く中、優しい笑顔を見せる藤井香愛(撮影・狩俣裕三)
秋の花々が咲く中、優しい笑顔を見せる藤井香愛(撮影・狩俣裕三)

誕生日は、1988年(昭63)7月26日。翌89年1月7日の昭和天皇崩御で、翌8日から元号は「平成」となった。藤井のデビューは、2018年(平30)7月4日。翌19年4月30日に上皇陛下が退位され、5月1日から「令和」となった。「昭和」の終わりに生まれ「平成」の終わりにデビューした。現在は「令和の歌謡歌姫(ディーヴァ)」として活動している。「平成」は藤井にとって歌手を目指して駆け抜けた時代だった。

もともと、安室奈美恵さんやSPEEDに憧れていた。小学校2年からダンスとボイストレーニングを始めた。家族でカラオケ大会をやったり、6歳違いの兄がロック系のアマチュアバンドで活動するなど、音楽にあふれた家庭だった。

藤井 両親が音楽好きで常に家の中に音楽がかかっている感じでした。父が晩酌する時に「演歌の花道」(テレビ東京系音楽番組)などを見ていて、私は「どうしてこの人たちは、室内の橋の上で歌っているんだろう」などと思って一緒に見ていました。

小学校低学年から歌手が目標だった。ミュージカル「アニー」のオーディションは毎年のように受けた。たまたま遊びに行った遊園地で開かれていたダンス系の事務所のオーディションに飛び入り参加し、審査員特別賞で遊園地の年間パスをもらった。

藤井 SPEEDの島袋寛子さんが小学6年でデビューしていたので、私も絶対に小学生のうちにデビューしてやる、という気持ちはありました。

中学に入って、今につながる転機が訪れた。既に引退していた山口百恵さんの曲との出会いだった。代表曲「プレイバックPart2」に衝撃を受けた。百恵さんは19歳でこの曲を発表していた。

藤井 この人かっこいいって思った。ずっと大人の方かな、と思っていたんですけど、10代で歌っていたと知って、それも衝撃でした。

それ以降、歌謡曲に傾倒した。中学はエスカレーター式に高校に進める有名校だったが、芸能活動が可能な専修学校に進学した。ダンスやラップ、DJなどを学ぶいろいろな仲間がいて、とても楽しかったという。ヒップホップ文化から生まれたB系ファッションを好み、女性ファッション誌「egg」の読者モデルも長く務めた。

藤井 当時は、見た目がちょっとギャル系だったので(笑い)。渋谷で編集者の方に声を掛けていただいて、読んでいた雑誌だったので「出ます!」という感じ。人前に出るのが好きだったというのもありますね。

芸能事務所とタレント契約を結んだ。19歳だった08年、プロ野球の東京ヤクルトスワローズ公認パフォーマンスユニット「DDS」(現Passion)の仕事が決まった。球団本拠地の神宮球場でダンスパフォーマンスを披露した。高田繁監督の時代だった。

東京ヤクルトスワローズ公認パフォーマンスアーティスト「DAD’S」メンバーとして神宮球場でパフォーマンスを披露していた藤井香愛
東京ヤクルトスワローズ公認パフォーマンスアーティスト「DAD’S」メンバーとして神宮球場でパフォーマンスを披露していた藤井香愛

藤井 実は当時、野球がまったく分からなくて。試合の流れで出ていかなければならないんですけど、メンバーみんなタイミングが分からない。控室でずっとテレビを見て、試合の流れを見ていました。それで何とかルールも分かってきました。

並行して公認サポーターズソングを歌う7人組ダンスボーカルユニット「DAD,S」のメインボーカルにも選ばれた。

藤井 今から思うとすごいことをやらせていただいたなって思うんですけど、当時はあくまで「お仕事」という感じでした。神宮球場で試合がある時は毎日、2万人、3万人の前で踊って歌うんですけど、別に全員が私のことを見ているわけじゃない、みたいな(笑い)。でも球場の大画面に毎回ミュージックビデオを流していただいて、生の映像も掛けていただいて、すごいことをさせてもらっていたんだなって思います。

その後、芸能事務所と契約が切れ、歌手を目指す道のりを独力で歩むことになった。第一興商カラオケのガイドボーカル(お手本として流れる歌声)のアルバイトや、不動産会社でも働いた。専修学校時代に取得したパソコンスピード認定試験2級などの資格が生きた。並行して歌謡曲をジャズやR&B風にライブハウスで歌う仕事もした。

藤井 ガイドボーカルの仕事は、レコーディングまで日にちがなかったり結構大変な時もありました。そういう部分では磨かれました。安室さんや浜崎あゆみさん、高橋真梨子さんや桂銀淑さんら100曲以上担当しました。(そういう経験もあって)デビュー曲の収録の時は、そんなに緊張しませんでした。

その間、オーディションを受けたが、結果につながらなかった。4年以上働いていた不動産会社から「正社員にならないか」という誘いに心が動いた。しかし「香愛の歌、好きだよ」と言ってくれた親友や家族の応援を支えに、挑戦はあきらめなかった。29歳だった17年8月、新人オーディション「歌姫、歌彦を探せ!!」で、ファイナリストに選ばれた。賞は逃したが、スカウトされ、デビューにつなげた。

デビューから20日後の18年7月24日、神宮球場で行われたヤクルト対DeNA戦では始球式を務めた。ヤクルトの公認ユニットに所属していたことが縁でつかんだ晴れ舞台だった。無我夢中で初めて神宮球場で歌い踊った日から、約10年の歳月が流れていた。懐かしのマウンドから投じたボールはワンバウンドしたが、「真っすぐ投げられて良かった。(点数は)50点くらいかな」。それはまるで、あきらめず追い求めた歌手への始球式でもあった。(つづく)

18年に神宮球場で始球式を行った藤井香愛
18年に神宮球場で始球式を行った藤井香愛
18年に神宮球場で始球式を行った藤井香愛
18年に神宮球場で始球式を行った藤井香愛
18年に神宮球場で始球式を行った藤井香愛
18年に神宮球場で始球式を行った藤井香愛

◆藤井香愛(ふじい・かわい)本名同じ。1988年(昭63)7月26日、東京生まれ。17年8月に徳間ジャパンとラジオ日本が主催したオーディション「歌姫、歌彦を探せ!!」で応募総数約2500人の中からファイナリスト12人に選出。これを機にスカウトされ、18年7月「東京ルージュ」でデビュー。第2弾は「TOKYO迷子」。現在は両A面シングル「その気もないくせに/鳴かない鳥」がヒット中。20年に日本作曲家協会音楽祭で奨励賞。趣味は野球観戦、食べ歩き。資格はパソコンスピード検定2級、文書デザイン検定、日本語ワープロ検定、情報処理技能検定はそれぞれ1級。カワウソ博士でもある。身長163センチ、血液型B。

大好きなつば九郎のぬいぐるみに、思わず顔をほころばせる藤井香愛(撮影・狩俣裕三)
大好きなつば九郎のぬいぐるみに、思わず顔をほころばせる藤井香愛(撮影・狩俣裕三)