大阪・万博記念公園(大阪府吹田市)にそびえ立つ「太陽の塔」。「芸術は爆発だ」の故岡本太郎さんの代表作で、1970年に開かれた大阪万博のシンボルです。高さ70メートルの巨大モニュメント「太陽の党」の頂上にある黄金の顔の目玉に8日間にわたって立てこもった「目玉男」がいました。事件発生から47年。目玉男はどこにいるのか? 「もう死んだのでは…」。そんなうわさもある中、大阪・毎日放送報道局の取材班が目玉男を独占キャッチ。テレビの前で「真相」を初告白しました。

 大阪万博開催中の70年4月26日。太陽の塔が突然、“アイジャック”されました。右の目玉の中に籠城した若い男は青いタオルに覆面、ジャンパーに黒ズボン、頭には「赤軍」と書かれた赤いヘルメット。下から見上げる観客に笑顔で手を振り、「バンパクをつぶせ」などとアジ演説しました。

 メディアは「万博目玉男」の動向を連日、報じました。籠城1週間目、目玉男は寒さに負けて降りてきました。警察に威力業務妨害、建造物侵入の現行犯で逮捕されました。

 12日午後1時55分からMBSテレビの特別番組「激撮!直撃!! スクープ」(関西ローカル)の中で、「関西博覧会狂騒曲!大阪万博で太陽の塔を占拠した『目玉男』は今」と題し、インタビューの模様が放映されます。

 目玉男キャッチの情報をつかみ、一足先に映像を拝見してきました。インタビューに成功したのは毎日放送報道局ニュースセンター報道部の取材班。わずかな情報をもとに北海道に飛び、目玉男の故郷である旭川市内で徹底的に聞き込み、現地入り3日目にして、やっとたどり着いたそうです。

 旭川市内にある1軒のアパートが映し出されます。直撃取材に高齢の男性が現れました。佐藤英夫さん(73)。あの目玉男です。佐藤さんに目玉の中から手を振る当時の映像を見せると「これは下から手を振ってくれる人がいたから、それに応えているのさ。知らん顔はできないと思ってね。観客にサービスしたのさ」と語ります。

 当時、佐藤さんは25歳。70年3月に「赤軍派」がよど号ハイジャック事件を起こした直後、太陽の塔に立てこもりました。

 インタビューでは「赤軍だったのですか?」の質問に「違います」とキッパリ。さらに「なぜ赤いヘルメットをかぶっていたのですか?」の質問には「あれはね、当時は赤軍って書いたほうがインパクトがあるなと思ったんだ」と舞台道具としてのコスプレだったことを明かしました。

 陽気に手を振る一方で、籠城生活のつらさについても振り返ります。「とにかく寒いよね。寒いしつらい。1週間くらいで足が冷たくなって、足の感覚が動かなくなるしね……」。なぜ“投降”したか。その経緯も明かします。

 ただ単に目立ちたいだけの愉快犯かと言えばそうではなかったようです。何を訴えたかったのか。「国家の見えの張り合いなんだよ。万博なんて言うのはね」。インタビューでは、なぜについてさらに詳しく語っています。そして籠城を決断したある行動についても明かしています。立てこもり中に駆けつけた故岡本太郎さんとの2人だけの「会話」も語ります。

 目玉男のテレビ初激白には、目がくぎ付けになりました。【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)

インタビューに応じた佐藤英夫さん(MBSテレビ提供)
インタビューに応じた佐藤英夫さん(MBSテレビ提供)
太陽の塔(MBSテレビ提供)
太陽の塔(MBSテレビ提供)
「太陽の党」の頂上にある黄金の顔の目玉に立てこもる目玉男(MBSテレビ提供)
「太陽の党」の頂上にある黄金の顔の目玉に立てこもる目玉男(MBSテレビ提供)
籠城中に手を振る目玉男(MBSテレビ提供)
籠城中に手を振る目玉男(MBSテレビ提供)