今年はザ・ビートルズの日本公演から60周年を迎える。記念レコードの発売やイベント、テレビの特別番組など、さまざまな企画が発表されている。

メンバーはジョン・レノンさん(40歳で死去)、ジョージ・ハリスンさん(58歳で死去)、ポール・マッカートニー(83)、リンゴ・スター(85)の4人。

日刊スポーツでも60年前の1966年(昭41)6月30日に、東京・日本武道館で行われた来日初公演の模様を、翌7月1日付の1面で伝えた。

46年3月の創刊以来、コンサートの模様を1面で報じたのは初めてだった。

見出しは「叫喚の中のビートルズ 監視つきの初公演」。

叫喚とは大声でわめき叫ぶこと。その2文字がピッタリの熱狂ぶりだった。

一方で、世界のヒーローとなっていたビートルズに対して、国賓並みの厳重な警護態勢が敷かれた。

宿舎となった東京・永田町の東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトル東急ホテル)から、日本武道館までの沿道2メートルおきに警官が配置された。

ファン対策はもちろんだが、「武道の殿堂で、青少年の心身育成の場」である日本武道館を外国のグループに使わせるな、という抗議デモも起きていた。その警戒もあった。

公演に行った生徒は停学にするという学校もあった。ビートルズは風紀を乱すと、拒否反応を起こす大人も多かった。

日本武道館の外には警官、機動隊1700人。装甲車40台、パトカー70台、救急車も多数配置された。

会場内部には、観客約1万人に対して、警官、警備員合わせて約3000人が客席前に並んだ。客席で立ち上がることは許されなかった。

その模様を日刊スポーツは1面でこう伝えている(原文のまま)。

『午後七時二十五分、二階席に警察隊が入ってきた。通路に二列縦隊で並んで腰をかけた。ついで同30分、同じく一階席に警官隊が守りを固めた。三十三分、地階、舞台前に警官が客席に背を向けて立った。

口笛と喚声、そして拍手がひとしきり高くなった。場内警官隊の配置完了は、そのままザ・ビートルズの登場となるということをファンは知っていたわけだ。

警護隊の監視の中での鑑賞という日本では前例のない音楽会のこれがプロローグだった。』

午後7時35分、開演を告げるブザーの後は、絶え間ない絶叫が日本武道館を揺らした。

当時のPA機材(Public Address=大衆伝達の意味で、スピーカーなどを使い声や楽器の音を増幅させて、多くの人に聞かせる機材)は、いまほど精巧ではなかった。

さらに日本武道館は新しかったが、コンサートなどに適した反響を考慮していなかった。

ビートルズの演奏、歌声は、悲鳴にも似た喚声にかき消された。

当時、メンバーを直接取材した音楽評論家の湯川れい子氏(90)は、記者のかつてのインタビューにこう語った。

「極彩色の渡り鳥の群れがキャーと言っているような、女の子たちの絶叫を生まれて初めて聞きました。この無邪気な、方向性を持たないエネルギーの何がいけないのと思った。私たちに伝わるのは、さあ一緒に楽しく生きようよという呼びかけしかない音楽を、なぜ百害あって一利なしと言うの。その時、私は決意したんです。一生、ミーハーでいようと。ビートルズが一生、キャーという場にいようと固く決心させてくれました」。

60年後のいま、「監視つき」のコンサートなどはあり得ない。立ち上がっての喚声や、腕を振り上げての絶叫は、当たり前の光景となった。

すべては、わずか35分間だったビートルズの来日初公演が始まりだった。【笹森文彦】

▼ザ・ビートルズ来日初公演の曲順 <1>ロック・アンド・ロール・ミュージック<2>シーズ・ア・ウーマン<3>恋をするなら<4>デイ・トリッパー<5>ベイビーズ・イン・ブラック<6>アイ・フィール・ファイン<7>イエスタデイ<8>アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン<9>ひとりぼっちのあいつ<10>ペイパーバック・ライター<11>アイム・ダウン

※来日初公演は66年6月30日、7月1、2日(各昼夜2回)の計5公演。曲順はすべて同じだった。