歌手すぎもとまさと(73)が、5年ぶりのシングルとなる「薄荷抄(はっかしょう)」を先月21日にリリースした。2015年(平27)に66歳で亡くなった作詞家ちあき哲也氏の歌詞に、作曲家浜圭介氏(76)が曲を付けた作品を託された。1972年(昭47)のデビューから50年。その半世紀の歩みと、これからを聞いた。【小谷野俊哉】

★作詞家すごい

親友ちあき哲也の遺作に、敬愛する先輩の浜圭介が曲をつけた「薄荷抄」。すぎもとは50年の節目にふさわしい、メモリアルな作を歌う。

「ちあきが多分、浜さんに歌ってほしくて作品を渡したんだよ。浜さんは自分で歌うつもりで作ったんだと思うんだけど、なんか俺に連絡があって『すぎもっちゃん、歌ってくんねえかな』って。俺の中で、浜さんは作曲家を目指してやってる時から、同じ釜の飯を食った先輩なんです。逆らえない(笑い)。ちあきが浜さんに託した詞を見て、やっぱりちあき哲也らしいなと思った。それで、自分なりに歌わせてもらおうと思った」

突然届いた初恋の女性の訃報に過去を振り返って

<歌詞>バッキャロー

と嘆く、男の歌だ。

「この歌はやっぱり、ちあき哲也っぽい。サビの『バッキャロー』っていうフレーズが、なんとも言えなくて。普通は『バカ野郎』で終わっちゃうんだけど、それをバッキャローにしてるのが、すごいなと思ったんですよ。すごくキャッチーだね。俺の中では、いつも等身大の歌を歌いたいというテーマがある。この歌も等身大の歌かなと思いながら歌っています」

72年に作詞・作曲集団「フォーメン」を結成してデビュー。75年に解散して、その後は作曲家杉本眞人として、数々のヒット曲を手がけた。07年に歌手すぎもとまさととして歌った「吾亦紅(われもこう)」が大ヒット。NHK紅白歌合戦に、当時の史上最高齢で初出場した。ちあきさんが書いた詞に、自身で曲をつけた。

「ちあき哲也というのは、俺にとって大親友で、この人なくしては多分、今の自分はない。でも、密に仲良くしてたわけでもなく、彼はクールにしていた。でも、時には待ち合わせして2人で飲んだりすることもあった。ちあき哲也作詞で、最初の頃に作った作品が、ちあきなおみさんに歌ってもらった『かもめの街』という曲です。難解な曲で、ちあきなおみさんがアルバムを作る時に『こんな歌はちあき(なおみ)さんしか歌えない』と持って行きました。『吾亦紅』も、等身大の俺の思いを書いてくれていた。『あなたに謝りたくて』というのは、普通の作詞家だったら『お母さんありがとう』って言いそうなところ。それを『あなた』なんだよね。あなたっていうのは、お母さんでもなくて、お父さんでもあるし、兄弟でもある。そういう意味合いが、すごく深いよね。そしてありがとうじゃなくて、謝りたくて。お母さんじゃなくてあなただし、バカ野郎じゃなくてバッキャロー」

作詞作曲もこなすシンガー・ソングライターだが、提供曲を歌う意味も感じている。

「俺は全然大したことないですよ。やっぱり作詞家の方と組むっていうのは、そういうこともあるの。ちあき哲也ってもう亡くなって7年もたっているのに、いまだに残した作品群がある。それをあらためて聞いたり、どこにも出してないものがあったり。そういうのを考えると、やっぱり作詞家ってすごい」

★作曲家は極端

「歌手すぎもとまさと」と「作曲家杉本眞人」とは。

「ほんと大したことない。歌手ですよと言うほどのものでもない。照れがあって、歌もちょこっと歌ってるぐらいなもんです。紅白が決まった時、レコード会社の人やスタッフは泣くように喜んでくれた。だけど、俺からすれば、あまり出たくなかった。俺が出るってことは、歌手が1人減るとも言えるんだから。歌手のために歌を書いてるんだから、別に俺が出なくてもいいんじゃないのって思ったけど、行きがかりね。1回出たからいいかな、2回目はないだろうね」

東京・新宿の生まれ。中学生の時に音楽に興味を持った。

「最初は植木等からオールディーズ。そうしているうちにビートルズが出てきて、ビートルズエージ。ビートルズは作詞・作曲もやっていて自分も曲を作りたいと思った。好きでやってたけど、ギターも歌を作ることも全部独学。作曲家になんかなれるわけないと思ったけど、やっぱり頑張ってればなんとかなった。やっぱり好きであることが一番。全てに通じるよね」

デビュー前には、別の人生の選択肢もあったという。

「おやじが建具屋だから、後を継ぐことも考えた。だけど、おやじが『もう木の建具はいらなくなる。これからは金属のサッシに変わっていくから』って。先見の明があったよね。おやじのことが大好きだから、追いつき、追い越すために音楽の道に飛び込んだ。おふくろは、とにかく俺の歌を褒めまくってくれた。おふくろのおかげで頑張れたんだ。フォーメンはね、友達4人でやったんだけどね。その頃の先輩で、若くして売れていたのが浜圭介さん。浜さんは、当時は『女のみち』(ぴんからトリオ)が売れていた。駆け出しの時に憧れてた先輩と一緒に仕事ができるっていうのは、長くやってればこそだよね」

今月26日にはテイチクとユニバーサルから50周年の記念アルバムが同時に発売される。

「よく50年も続いたなっていう。“周年”ってさ、そういうのやるとなんか終わっちゃう気がして嫌なんだよね(笑い)。いくつまで歌うか分からないけど、ただ自分で、これはちょっと歌は無理だなと思ったらやめようとは思っている。何も無理して、キーを下げてまでやらなくてもいいんじゃないのと思ったりもする。でも、まあ、人それぞれの思いだけどね」

「好き」から始まった音楽の道だ。

「作曲家は浮き沈みが激しいんですよ。いい歌ができてる時は、自分のことを天才だと思うしね。いい歌ができない時は、もう俺は、この業界終わりだよなと思っちゃう。それぐらい極端なんだ。ただ、好きなことだからね、大変ではないんだよ。努力とかそういうことでもなく、依頼されて作詞家やディレクターと話し合って曲を作る。また話し合っての繰り返し。そういう共同作業。周りの人がいるからやっていけるんだ」

歌手すぎもとまさと、そして作曲家杉本眞人。大好きな音楽を作り、歌い続けていく。

▼「薄荷抄」の作曲家の浜圭介氏(76)

すぎもとさんとの付き合いは、もう50年にもなります。いい意味で気になる人で、今もどういう作品を書いているのか気になる。小柳ルミ子さんの「お久しぶりね」「今さらジロー」で大ヒットを飛ばした時は、よくやった、いいねと思った。10年くらい前に、亡くなったちあき哲也さんが「浜さん、歌ってよ」と「薄荷抄」の詞を持ってきたんです。何回も手直しをして、去年の中ごろにやっと出来上がった。そして、僕が歌うより、すぎもとさんが歌う方がいいと思った。この作品は絶対に世に出さなきゃいけないと思っているから。だから去年、譜面を持って彼のライブを見に行って、飛び入りで歌ってお願いした。そうしたら「浜さん、歌わせてくれ」って。先月のコンサートで「薄荷抄」を歌うのを聞いて感動した。素晴らしくよかった。

◆すぎもとまさと

1949年(昭24)4月30日、東京都新宿区生まれ。法大卒。作曲家としては「杉本眞人」として活動。72年に作詞・作曲集団「フォーメン」を結成し、75年に解散。同年にシンガー・ソングライターとして初アルバム「あすふぁると」発売。代表曲は「お久しぶりね」「今さらジロー」(小柳ルミ子)、「花のように鳥のように」(桂銀淑)、「冬桜」(湯原昌幸)など。。現在のレギュラーはラジオ日本「すぎもとまさとのBarスターライト」、群馬テレビ「カラオケチャンネル」、信州テレビ「杉本眞人 おもいやりモーニング」。血液型O。

◆CD「薄荷抄」

表題の「薄荷抄」はちあき哲也作詞、浜圭介作曲、編曲佐藤和豊。カップリングはいずれも阿久悠作詞、浜圭介作曲、佐藤和豊編曲の「昭和最後の秋のこと」と「街の灯り」。