役の大小にかかわらず、どの作品にも強烈な印象を残してきた。来年でデビュー50年の俳優・國村隼(70)。若くしてハリウッド大作に出演を果たして以来、国境や言語の壁をものともしないチャレンジャー精神は健在だ。ピアノ演奏に初挑戦する主演ドラマ「ドビュッシーが弾けるまで」(フジテレビ系=午後10時)の24日放送を前に聞いた。【相原斎】
★自宅特訓バイエルから
ドラマは、長年連れ添った愛妻を亡くした失意の男がピアノレッスンを通じて心を開いていく物語だ。
「ピアノは『鍵盤のどこがドですか?』のレベルでしたから。身体的にも指が1オクターブ届きませんし…。バイエル(教則本)から始める喜一郎さん(役名)と同じで僕もそこからでした。先生に教わる時間だけでは絶対に間に合いませんから、収録の1カ月前からピアノをお借りして自宅で練習を続けました。それでも、収録本番の緊張の中で本当に(ドビュッシーの)『月の光』が弾けるのか、不安ばかりでしたね」
70歳での初体験、あえての難役だ。出演を決める基準はどこにあるのだろう。
「それはやっぱりホン(脚本)のクオリティーに尽きますね。今回は若い方(ヤングシナリオ大賞受賞者、石田真裕子氏の地上波デビュー作)が書かれたものですが、構成が素晴らしい。妻の死で時が止まった男の仕事が時計屋というのもいいでしょ。いい車はいい設計図がなければできません。いいドラマもいいホンがあってこそです」
★「挫折」高専中退
幼少時から自動車が好きで、大阪府立工業高専(現・大阪公立大工業高専)に進んだが、あっさり中退して演劇の世界に転じた。
「挫折したんですよ(笑い)。工学はやるつもりあったんですけど、カリキュラムの中に理論物理学とか量子力学とかあって、何だこれっ! て、ついていけなかった。そんな時『お前どうせ暇やろ』と小学校の同級生から誘われたんです。実は小学校に演劇部があって5、6年の時に一緒にやっていた仲間だったんです。そんな彼から『NHKでこんな募集していたよ』と。いざ(大阪放送劇団付属研究生9期に)入ってみたら、どんどん面白くなった。車作りもお芝居も『もの作り』という意味で僕にとって同じだったのかも」
劇団活動のかたわら、テレビドラマの仕事も舞い込むようになった。
「ホンを懸命に読んでガチガチにイメージを固めた時期もありました。でも、作品の中の自分は全然面白くない。じゃあ、自然体に、とか。アプローチを変えては頭を打って…またやり方を変えて」
★リドリーにゲタ
ハリウッド大作「ブラック・レイン」に出演したのはそんな33歳の時だった。
「新聞記事で『ブラック・レイン』の大阪ロケを知りました。役者を続ける自信がなかったからこのオーディションでダメなら、辞めるつもりでした。リドリー(・スコット監督)にゲタを預けました(笑い)」
撮影現場に圧倒された。
「映画経験は『ガキ帝国』だけで、無許可で逃げながら撮影するのが当たり前でしたから、すべてを止めて堂々と撮るやり方がまず驚きでした。でも、(製作費)1000万円で撮った『ガキ帝国』も、60億円と言われた『ブラック・レイン』も、出来上がってみればどちらも2時間の映画でそれぞれ面白い。映画の可能性を感じました」
これが遺作となった松田優作さんとの出会いも。
「(公開直後に亡くなった)優作さんとは『ブラック・レイン』撮影中からちょうど1年だけのお付き合いなんですけど、映画のことばかり話しました。心の中にはいただいたモノがたくさん残っています」
国際的な活動を目指した優作さんの思いに押されるように「ブラック・レイン」の翌年から3年間、拠点を香港に移した。
「香港のプロデューサーから『隼さんにぴったりの役がある』と言われたのがジョン・ウー監督、チョウ・ユンファ主演の『新・男たちの挽歌』でした」
★優作さんの教え
ウー監督のハリウッド進出を決定づけた作品。國村の存在は、決まって周囲に相乗効果をもたらす。映画初主演の「萌の朱雀」(97年)は、河瀬直美監督にカンヌ映画祭史上最年少の新人監督賞をもたらし、地元奈良・五條市の中学生だった尾野真千子がスカウトされて女優の道を歩み始めた。
「優作さんから『真ん中(主演)やるときは何にもするな』と教わりました。やりすぎるな、ということだと思っています。その分は、周りの人がサポートしてくれる。それをきっちりと受けるのが真ん中の仕事だと思っています」
06年のNHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」でお茶の間にも名前を知られる存在になった。収録の10カ月間を希代の喜劇人、藤山直美と共にした。
「直さんとの収録は、いくら準備しても役に立たない。どこから何が飛んでくるかわからない。どれだけフットワークよく対応できるかでしたね。緊張感はあったけど、それはそれは楽しい現場でした」
★吐きそうな経験
泰然自若とした國村にも1度だけ音を上げた経験がある。60歳の節目に出演した韓国映画「哭声/コクソン」だ。厳しい演出で知られるナ・ホンジン監督のメガホンで、山中で暮らす怪人物役には野生の生肉を食いちぎるシーンもあった。
「監督は穏やかな人なんですけど、現場に入ると人が変わる。『もう1回』とテイクが重なって撮影に終わりがない。体力も削られる。生肉を食べるシーンは本物の生肉です。嫌いじゃないけど、終わりがなくてさすがに吐きそうになりました。それで『あと1テイクで終わりにしてくれ』と。後で聞いたら、『僕は戦争のつもりでやってる』と。『僕が死ぬか相手(俳優)が死ぬか』だと。1度出た俳優が次のオファーを断る理由が分かった気がしました(笑い)。僕は次も受けるつもりですけど」
この「怪演」で韓国・青龍映画賞で外国人として初めての助演男優賞と人気スター賞に輝いた。
★ヘレン・ミレンとも
「MINAMATA」(21年)ではジョニー・デップとの共演も果たした。
「念願でした。想像していた通りの人でした。繊細でウイットにも富んでいて。テイクごとに変化があって心地よい緊張感がありました。まだまだ共演したい人はいるんですよ。トム・ハンクスとかジョン・マルコビッチ。ヘレン・ミレンとも会ってみたいです」
共演希望に国際的名優が当たり前に出てくる。そんな俳優は他にいない。
▼尾崎匠海(INI=26、「ドビュッシーが弾けるまで」で共演)
共演させていただくのは初めてです。映画やドラマで拝見して、いつも圧倒されてきたので、正直怖いイメージを持っていました。が、いざお会いしてみると関西弁できさくにお話しされる。僕も大阪出身ですから、最初から気が楽になりました。本読みの段階から学ぶことばかりで、共演できた幸運をかみしめています。
◆國村隼(くにむら・じゅん)1955年(昭30)11月16日生まれ、大阪府出身。76年から大阪放送劇団で俳優活動。81年「ガキ帝国」で映画デビュー。NHK連続テレビ小説、大河ドラマ、テレビ朝日系「必殺シリーズ」など多くの人気ドラマに出演。米「キル・ビルVol.1」、韓国「犯罪都市」など、海外映画への出演も多い。









