タレント上岡龍太郎さんが肺がんと間質性肺炎のため死去したことが2日、明らかになりました。

東京のテレビに進出した90年にロングインタビューしましたが、どんな話題をぶつけてもキレのいい持論と哲学があり、過激さと、紳士的な安心感が同居するかっこいい人でした。スーツの上着の着せ方がなっていないと、どこまでもロジカルに教えてもらったことはいい思い出です。

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インタビューしたのは、東京でいくつもの冠番組がスタートしていた90年7月。忖度(そんたく)なしにガンガン核心を突く話術で視聴率界を席巻し、昭和からのテレビっ子としては“西からすごい人が来た”と、上岡カラーの番組の数々をわくわく見たのを覚えています。

インタビューでも過激でおもしろい上岡節をたくさん聞かせてくれましたが、取材を受ける姿勢は圧倒的に紳士的でした。

冒頭の雑談で「スタッフに『次のゲストはなんでこの人にしたん?』と聞くと、みんなああだこうだと苦しい理屈をつけてくる。はっきり『義理だ』と言えばええんです(笑い)」。毒舌に見えて、チームを組んで間もないスタッフたちや、取材者を警戒させない空気作りに優しさがぎっしり。冠番組にも、目の前の新人記者にも、同じ情熱で本音をぶつけてくれる人でした。

放送担当記者としては、やはり「これからテレビでウケるもの」について語った部分が記憶に残ります。「素人が芸を見せるか、芸人が私生活を見せるか、このどっちかや。あとは“いじめ”やね」。今は終了した帯番組を挙げ「日替わりでいじめるモンを決める。徹底的にやる。ウケまっせ」と皮肉。悩める令和のテレビを見ると、絶好調の90年の時点で予言のように核心を突いていることに驚かされます。

「衣装も自己表現のひとつ」として、すべて自前だったのも上岡さんらしいこだわりでした。「借り衣装を着たら、借りもんの意見しか言えない。役者はいいですけど、トーク番組に出る者は借り衣装はダメ」。衣装の見立ては奥さまが行っていましたが、それにも上岡さんのポリシーがありました。女性と子どもがなくては「何事も成立しない」とし「女性が見ていいと思うものを着たい。女に好かれたいんです」。辛口トークの背景に、常に女性へのリスペクトがあったことにほっこりしました。

取材後、「衣装」の話の流れで、スタジオに向かう上岡さんのスーツの上着をなぜか私が着せて差し上げる流れに。上岡さんの後ろに立ち、上着を広げると急に噴き出し、「それじゃダメなのよ。教えたるわ」と、自ら手本を見せてくれました。

そんな上の方で構えたら腕を入れられない、腰のあたりで低く構えればスッと手が入るからそのままヒョイっと、と、あざやかに私に着せてくれました。師弟制度の世界で見てきたからこんなのは当たり前、とした上で「いちいち言わんでも分かるやろ。相手のことを思えば」。すごい角度のツッコミでその場を爆笑させ、撮影タイムも極めてスムーズに。「相手のことを思えば」。上岡節の極意の一端をのぞかせてもらった気がしました。

駆け出しのころに、上岡さんを通してインタビューの醍醐味(だいごみ)を体得することができたことは本当に幸運でした。上岡さんでなければ作れなかった番組の数々は記憶に鮮明にあります。昭和からのテレビっ子としても、ありがとうございました。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)

07年6月、「横山ノックを天国へ送る会」で横山ノックさんの写真の前でエピソードを話す上岡龍太郎さん
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「ノックは無用」の放送500回記念前夜祭で乾杯する横山ノック(右)と上岡龍太郎さん
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探偵ナイトスクープ放送初期、スタジオで共演した、、左から岡部まり、上岡龍太郎、キダタロー(C)ABCテレビ
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