気になる静岡県テレビ局アナウンサーを紹介する連載「静岡アナ 気になリスト」。SBS内山絵里加アナ(27)の登場です。浜松市生まれで、幼い頃から「静岡のアナウンサー」を目指してSBSに入社。ただ、信念を貫くまでには、相当な我慢と苦労があったようです。「その1」は就活編。

 -浜松市出身。地元でアナウンサーになりたいと

 必ず「静岡のアナウンサー」にと。

 -きっかけは

 最初は幼稚園の時に、母から「昔、テレビのお姉さんになりたかったのよ」と聞いて、「私がなる」と。最終的に決意したのは、小4の時です。介護職の体験で老人ホームに通ったのですが、子供嫌いで1人でいるおじいさんがいて、私も嫌われていたんです。それでも、外に出てほしくて「お花が咲いたよ」とか伝えていたんです。いっこうに変わらなかったのですが、ある日、「ここに行きたい」と言い出したんです。そのきっかけが、テレビに映っていた桜中継でした。「やっぱり、テレビのお姉さんはすごい」「たくさんの人を良い方向に動かすことができる」のかもと思いまして。「なぜ静岡」かというのは、母の夢だったからです。母に見せてあげたいという思いからでした。

 -そこからブレずに

 はい。「アナウンサーになるにはこの高校、大学」など、いつもそこを目指して生活していました。

 -大学ではアナウンススクールにも

 そうですね。ただすぐには行けませんでした。大学には、奨学金やアルバイト代などで通っていたので、お金がたまるまではスクールには通えず、3年で就活が始まってからでした。遅すぎるぐらいでしたが、先生方は非常に熱心に指導してくださいました。

 -では、3年生で静岡の局を受けたんですね

 いいえ。静岡の局は一切、採用がなくて受けられませんでした。

 -ショックですね

 そうなんです。「絶対に静岡」と決めていたので。母には「何歳になるか分からないけど、あきらめないから」と言って、近隣の名古屋とか長野の局を受けました。受かったとしても、将来、中途採用などで静岡に戻ってこようと。

 -それで4年生で再トライ。SBSは

 静岡の全局を受けました。SBSは再募集で受けたんです。「静岡のアナウンサーになることが夢です」という手紙を添えて、申し込みました。

 -面接で思い出すことはありますか

 一番印象に残っているのは、「今、ここの状況を実況して下さい」と言われ、「怖そうな顔をしたおじさま(面接官)が」と失言しました。すぐに「ダンディーなおじさま」って言い換えたんですけど(笑い)。

 -手応えは

 半分半分くらいだったんですけど、家族全員がSBSを受けに行くことをすごく楽しみにしていて、私もこの局が好きという気持ちは伝えられたかなと思いました。

 -内定が出たのは

 4年生の12月です。うれしかったですね~。「天にも昇る思い」というのは、一生であの時だけです。入社もすぐ(翌年春)でした。留年する気満々で、教授に「アナウンサー試験を続けるので卒論は出しません」と伝えていたので、そこからの卒論提出は大変でしたが(笑い)。

 念願かなって「静岡アナ」になった内山アナですが、入社後の研修時期は、涙、涙…だったようです。「その2」では仕事ぶりについて語ります。【柳田通斉、鈴木正章】(つづく)

 ◆内山絵里加(うちやま・えりか)1988年(昭63)11月29日、浜松市生まれ。青学大文学部日本文学科卒、11年入社。テレビは「イブアイしずおか」、ラジオでは「内山絵里加のアナらじ」などを担当。趣味は「動物観察」など。血液型A。