南阿蘇村で音楽活動を続けるC-C-B笠(りゅう)浩二(53)が18日、同村の自宅で取材に応じた。南阿蘇村の自宅は木造平屋建て。16日未明の地震では、家具が倒れるなどしたが、同居の両親ともに全員無事だった。電気、ガス、水道が止まっているが「村の他の人に比べたら、うちなんかなんでもありません。湧き水もあり、野菜も米もある。いなかの強さです。僕は元気です」と笑顔を見せた。

 南阿蘇村では、土砂崩れや家屋倒壊で多数の犠牲者が出ている。「亡くなった方が出た時、すごくショックでした。大きな橋が落ち、村の中の道はズタズタです。僕が、村のために何ができるか。考えています」。

 SNSで、村の状況を発信しているのも、行動の1つだ。「ありがたいと思うんですけど、ファンのみなさんがとても心配してくださっている。僕が何か言うことで、村に今必要なものが伝えられればいいなと思っています」。

 停電が続いているが、隣の母方の実家の発電機を借りて充電しながら、発信を続ける。「携帯とルーターでネットにつないでいるんですけど、通信事情が悪くなっているので、少しずつですけど、発信は続けたいと思っています」。

 99年に、先祖代々の土地である南阿蘇村に移った。父良幸さん(86)と母レイ子さん(78)と3人暮らし。拾ってきた犬「リキ」とネコの「チビ」と3人と2匹の生活を送ってきた。「長男だから、墓を守らないといけないし。農業をやろうと思って帰ってきた」。

 父の仕事の関係で、北九州市で生まれた笠は小学校1年で東京に移った。「生まれてもいないし、育ってもいない『エセ熊本人』なんです」。最初は友人もいなかった。東京の便利な暮らしも恋しかった。それでも、村祭りなどを手伝ううちに、音楽の演奏する機会があり、みんなが喜んでくれた。

 「最初は農業やるつもりだったんですけどね。ここで音楽を続けられると思っていなかったけど、やっぱり音楽やってほしいと言われて。すごく喜んでもらえて。友人もできて。当初は、このいなかの静けさがさみしくて、不便でと思っていたんですけど。村の人たちにすごくよくしてもらって、今がある」。

 今春、村の3校の中学校が統合し、南阿蘇中学校が創立し、校歌を頼まれた。「校歌を作ってほしいと言われたのが、本当にうれしくて。これでエセ熊本人が、阿蘇人になれたのかなって」。作詞は阿蘇の友人の黒木よしひろさんに頼み、作曲を担当した。

 4カ月かけて、黒木さんと議論しながら、2曲を作り上げた。校歌はマーチ。愛唱歌として、統合した3校の伝統のハーモニーを思い、ワルツ。「11日の入学式には、中学のブラスバンドと一緒に僕がドラムをたたいて演奏し、みんなで歌いました。すごくうれしかった」。5日後、大きな地震が南阿蘇を襲った。

 昨年7月に急逝したベースの渡辺英樹さんを亡くしたショックは大きかった。それでも、校歌に関われたことで、「もう1度、村で一から頑張ろう」と思った。しかし、今月14日にはキーボードの田口智治容疑者(55)が逮捕された。そして、地震が追い打ちを掛けた。つらくないと言えばウソになる。

 ろうそくの灯りをともした居間での取材中にも、緊急地震速報が鳴り響き、強い揺れに家がギシギシなった。「5強くらいですね」。度重なる余震で、震度が分かるようになった。村の被害をラジオで聞く度、心がふさぐ。それでも、受け入れてくれた村の人たちに受けた恩を「少しでも返しをしたい」。村が甚大な被害を受けた今だから、その思いを強く胸に持って、何ができるか、考えている。