7月7日に肺炎で亡くなった放送タレントの永六輔さん(享年83)のお別れの会「六輔 永(なが)のお別れ会」が30日、東京・青山葬儀所で行われた。

 会では60年来の付き合いだという発起人代表でタレントの黒柳徹子(82)が「永さんは私の葬儀委員長をやるとおっしゃっていました。思惑が外れて申し訳ありませんでした」とあいさつした。続けて「60年間お友達でしたけど、1度もけんかをしたことがありませんでした。亡くなる3、4日前にお見舞いに行きました。そしたら永さんはずっと寝てましたけど、『永さん』というと、目を覚まして『あはははは』と笑ってまた寝ました。また次の日に行って『永さん』と言って、また笑って寝ました。それを4、5回して帰りました。その次の日に亡くなったと聞きました」と振り返った。

 会を終えた黒柳は「音楽を聞くと涙が出ちゃった。永さんの写真(遺影)がよかったですよね。あんなにハンサムだったのかなとあらためてびっくりした。60年以上のお友達で、なんとも言えない、心の中のお友達です。いなくなって心にぽっかり穴が開いた感じです」と話した。

 発起人のひとりの作曲家の小林亜星(84)は「永さんが亡くなる1カ月ぐらい前に病院にお見舞いに行った。永さんはしゃべれなくなってて、にこりと笑うだけだった。永さんは早くに奥さんを亡くされてて、非常に寂しそうにしているところをみていたので、その時に『永さん、早くよくなったらいい女紹介してやるよ』って言ったら、にこって笑ってくれて、永さんそういう冗談好きじゃないんだけど、よく笑ってくれたなと、それが印象に残りました」と思い出を話した。

 また、次女でフリーアナウンサーの永麻理(55)はお別れの会開始前の取材に応じた。台風10号の接近で、あいにくの空模様となり「ずっと天気予報とにらめっこって感じだった。台風も父のいたずらかしらって思っちゃうような。父は面白くないことを面白くするのが好きだったので、台風を逆手にとって『台風で遊んでるような余裕がほしいな』っていう声がずっと聞こえる気がして」と話した。

 この日は記帳の代わりに「お便りコーナー」を設け、ポストを設置して、はがきを投函(とうかん)できるようにした。麻理は「できるだけ父らしい空間を作ろうということで頑張りました。父は楽しいことが大好きだったので、楽しく笑っちゃうような会にできたらなということだけ考えながらやってきました。今日はずっと笑います。泣きません」。

 祭壇は竹などを用いて緑を基調とした「粋」な「和」の雰囲気とし、遺影には永さんが和服姿の20代の頃の写真、ラジオマイク前の50代の写真、70代後半頃の写真の3枚を並べた。

 麻理は父の偉大さについて聞かれると「父のためにこうやってみなさんが集まってくださること、私たち娘が存じ上げないような方からもいろんなメッセージと共に『出席します』と言ってくださっているのをみると、すごい人だったんだなと思います」と話し、「姉も私も小さい頃から家にいない父親だったので、またどこか行ってるんだろうなっていう感じです。そのうち帰ってくるんじゃないっていう気持ちがそのまま続いてます」としみじみと話した。

 この日は関係者約300人、一般参列者は約800人が訪れた。芸能関係者では黒柳らのほか、医師で作家の鎌田実、フリーアナウンサーの久米宏、作家の中山千夏、フリーアナウンサーの古舘伊知郎、女優の柏木由紀子、お笑いタレント松村邦洋らが参列した。