門脇麦(25)が、主演映画「世界は今日から君のもの」(尾崎将也監督、公開中)で、オタクで引きこもりの女子を演じた。ニッカンスポーツコムの単独インタビュー第2回は、14年の映画「愛の渦」で一見、地味ながら裏風俗店に足を運ぶ女子大生、16年の「二重生活」では男性を尾行する大学院生など、複雑な役どころの女性を演じる裏にある思いを明かした。

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 -話題作に相次いで出演し、さまざまな女子を演じることを、どう思う?

 門脇 私はわりと、スポットライトを浴びていないような女の子を演じることが多いです。そういう女の子が発する言葉というのは、やっぱり社会とか世間からは、あまり拾ってもらえない言葉の数々だと思います。そういう言葉をしゃべることが多いから…もしかしたら今も、どこかの端っこの方で言葉を発せない人たちの言葉を発していると思っている。言葉を扱う仕事なので、その言葉を言うことに対して、言葉と対等でいたいというか、言葉に失礼のないようにしたいという気持ちがすごくあって。役を演じる時もそうですけど、役に失礼がないようにしたいというのは、どの役でも思っていること…そこは大切にしていますね。

 -自分に対する評価が厳しいのは役と言葉に対する謙虚さの裏返し?

 門脇 そうですか?(笑い)(役のことは)考えてますね…考えるというか、勉強しなければいけないことがあったら、いろいろな資料を読みます。現場では、あまり考えてないですけど。恥ずかしいんですよ、この仕事をするのって。

 「愛の渦」では、激しいセックスシーンも演じるなど、作品に身をささげる女優と定評が高い。「恥ずかしいことを、どうして続けていられるのか?」と聞くと、こう返ってきた。

 門脇 学芸会(で演技を)をやるのって、恥ずかしいじゃないですか。恥ずかしさを払拭(ふっしょく)するのが私の準備。(演技という)ウソをやるわけだから、とっても違和感があるし、恥ずかしいという精神状態が正常だと思っていて。「役になりきる」とか全く理解できないし。そういう意味で、もがいている彼女(演じる役どころ)が発する言葉を自分が発した時に、彼女と同じもがきとか苦しさに負ける…苦しさを感じて挑んじゃいけないというか、そこに届いていないと、途端に言葉が上滑りする。動きもそうですけど、自分の動きじゃなくて、ある意味、振り付けされたような動きをやっているわけだから、それを大勢の人が見ている前でやることは恥ずかしいことだけど、体になじんで普通に出るようになったら動きに対する(恥ずかしいという)自我が消える。自我を消す作業は大事にしています。

 続けて「なぜ、恥ずかしく感じる自我を消す作業までして女優を続けるのか?」と質問すると、その答えは実にストレートだった。

 門脇 分からないです。だからやっているんだと思います。なんでやっているんだろうなぁって思ってやっているんですけど。もともと、人間に対して関心があって…自分のことも、こんなに観察しているくらいだから、人間という生き物に興味があると思います。心理学をやりたいと思っていたくらいですし。それなのに学生時代に、思春期で人とどうやったらうまく仲良くなれるか、分からなくなっちゃった時期があって…その反動ですよね。現場に行くと、いろいろな人がいて…やっぱり、この仕事は短期間で魂と魂のぶつかり合いをしないと、作品が作れないじゃないですか? 性格的に共鳴しないと多分、キャスティングもされないんだろうし、監督が何かを見て「この人が使いたい!」と思ったということは、監督の何かの琴線に触れたということだから…それが今の私の仕事を続けている理由なんです。触れ合った者同士が、違う作品でまた再会したら、それはもっととっても幸せなことだし、初めましての方とバチッとくるのって、いいなぁとも思うし。学生時代にうまく人と付き合えていなかった…でも人のことがすごい好きで、仲良くなりたいのにどうして仲良くなれないんだろうと、ずっと悩んでいた反動です。そういうのが楽しくて仕方ない。

 次回は女優への挑戦を続ける裏にある女性としての思い、「体を張った演技」、「女優として覚悟がある」という評価に思うことなどを語った。【村上幸将】