デビュー30周年のロックバンド、エレファントカシマシが大みそかのNHK紅白歌合戦に初出場する。エレカシは引退危機に直面した苦しい時代もあったが、第一線で活躍を続けている。このほどボーカル宮本浩次(51)が日刊スポーツの取材に応じ、東京放送児童合唱団(現・NHK東京児童合唱団)に所属した小学生時代から転機、息抜きまで、幅広く語った。

 先月16日に行われたNHK紅白歌合戦出場者発表会見の楽屋では、涙をこらえるのに必死だった。「世間のみんなから信用を置かれたような思いもあり、うれしくてうれしくてしょうがなかったです」。

 紅白で代表曲の97年「今宵の月のように」を歌う。楽曲を決めた後、紅白に向けた練習を行っている。「こん身の演奏をしてきて、ファンの支持を得ているところもある。一生懸命、練習して自信を持って、いい歌を歌えたら。万全の体調で臨みたいです」。

 NHKと縁も深い。小学2~5年生まで東京放送児童合唱団(NHK東京児童合唱団)に所属。白羽の矢が立ち、76年NHK「みんなのうた」8~9月度「はじめての僕デス」をソロで担当した。「男の子が少なかったのと、団地の2DKに住む平均的な男の子の歌なんですよ。僕は赤羽の団地2DKの4人家族、会社員の子で、宮本君にピッタリなんじゃないかと選んでくれたのかな」。同曲は10万枚を売り上げる大ヒットとなったが、小学校でからかわれ、恥ずかしくて合唱団を辞めた。

 今年6~7月度「みんなのうた」に、エレカシの「風と共に」が起用された。約40年ぶりの「みんなのうた」との関わりに「自慢じゃなくて、すごく誇らしかった」と喜ぶと同時に、母の言葉を思い出した。「『あんた、あたしに絶対感謝するわよ。合唱団に行っていて良かったと、思う時があるんだから』とよく言っていたんですね。生きていたら、すごく喜んでいると思うんですよね」。

 デビュー30周年。転機に「学生でデビューし7年ぐらいいた、エピックソニーとの契約が切れまして、その後『悲しみの果て』で再デビューを果たしたことが一番かな」と挙げた。当時27歳。「契約が切れるってこんなに悲しいことかと。給料もなくなっちゃって。山手線に乗っていても、ああ、オレは27歳になっても職業にも就いてないと」。初めて挫折感を味わった。

 他メンバーはアルバイトする一方、宮本は売り込みに奔走した。週1、2回はレコード会社関係者にテープを持って売り込んだ。「初めていろんなレコード会社にテープを持って行って『よろしくお願いします』と。これで食っていこうじゃないですけど、自覚がはっきり芽生えました」。

 危機感でプロの自覚とともに、コンプレックスも生まれた。「契約が切れるとすごい挫折感だから、売れなきゃ、売れなきゃ、売れなきゃって。契約が切れて『今宵の月のように』が売れた時もうれしかったです」。これも転機となった。

 今年、初の47都道府県ツアーを敢行。初めて全国ツアーが完売した。「あれだけたくさんの人がコンサートに足を運んでくれて、少し“売れなきゃコンプレックス”から脱せたんですよね。エレファントカシマシにとって、本当に幸せな時間でした」としみじみと振り返った。

 苦境を乗り越えてキャリアを積み、今はバンドの未来も描けるようになった。「私たち21歳でデビューして、31歳で『今宵の月のように』がヒットして、41歳で『俺達の明日』で復活できて、51歳で紅白歌合戦に出られた。61歳でどんないいことがあるか楽しみ。プロの歌手として61、71でもいけるんじゃないか。ようやく明るい気持ちでそう思っています」。【近藤由美子】

 ◆エレファントカシマシ 宮本浩次(ボーカル、ギター)石森敏行(ギター)高緑成治(ベース)冨永義之(ドラム)の4人で構成。81年バンド結成。88年デビュー。今年はベストアルバムを発表した。代表曲は96年「悲しみの果て」、70万枚以上を売り上げる大ヒットとなった97年「今宵の月のように」など。