平成元年にスタート、空前のバンドブームに火を付けたのがTBS系で放送された「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」、通称「イカ天」だ。メジャーデビュー前のインディーズバンドによる対戦番組だが、数あるバンドの中で異彩を放ち、NHK紅白歌合戦にも出場したのが4人組ユニット「たま」だった。そのパーカッション担当、石川浩司(57)が当時を振り返った。

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番組は爆発的な人気となり、「イカ天」は89年の新語・流行語大賞で大衆賞を受賞したほどだった。出演バンドがインディーズバンドだったため、破天荒なキャラが目立った。演奏を終了させられた女性バンドのメンバーが、ジーンズと一緒にパンツを脱ぐというシーンもあった。

石川 スターリンの遠藤ミチロウさんとか素っ裸でライブやっていましたしね。あのころ、インディーズ界が盛り上がっていたことは確かです。

中でも異彩を放ったのが、リコーダーや空き缶を使ったパーカッションなどを使った、独特の曲調が視聴者をひきつけた「たま」だった。中でも石川は、丸刈りにランニング姿でインパクト抜群だった。今でもその風貌は変わっていない。

石川 毎回ライブ中に暑くなって服を脱いで、最後には上半身裸になってしまうんです。それで、初めからランニング姿で出ることにしたのが始まりなんです

番組出演を決めたのはメンバーではなかった。

石川 意見が割れていたんです。でも女性スタッフが勝手にテープを送って、それで決まった。「ならば出ないと」という状態でした。

第1週で披露したのはアングラ色の強い「らんちう」だった。番組出場で、一夜にして有名人となった。

石川 まさかあの曲で完奏できるとは思わなかったし、イカ天キングになるなんて夢にも思っていなかった。次の日に知久(寿焼)君と新宿で待ち合わせしていたら、駅の中で女子高生に追いかけられて(笑い)。1日で全てが変わりました。

2週目には「たま」最大のヒット曲「さよなら人類」を披露した。

石川 たぶん次で終わるからと思って、ポップな面も見せておこうとやった曲で、たまの中ではむしろ異色な曲なんです。

本人たちの思いをよそに「3代目グランドイカ天キング」に輝き90年(平2)5月、メジャーデビュー。「たま現象」として話題となり同年末、NHK紅白に出場した。だが、その裏にもドラマがあった。

石川 実は、出るつもりがなかったんです。でも、レコード会社の人が「俺の命と引き換えでもいいから出てくれ」って。他の音楽番組には出ていたので、紅白に出ないと逆に意識しているように見えるかなと思って、出ました。

たまにとって「イカ天」はどんな番組だったのか。

石川 音楽で暮らしていけるようになった、大きな転換でした。イカ天がなかったら絶対に(今は)なかった。ぶっちゃけ、ヒットしてお金が入りました。その当時僕らはもう20代後半だったので、「アングラが長く続くことはない」と冷静になれた。でも、長く活動を続けたいという思いがあったので、スタジオを作ったんです。おかげで今も活動を続けられています。

ムーブメントの中心にいたが、今振り返ると不思議な感覚だという。

石川 音楽をやっている僕らはおもしろいと思って見ていましたけど、一般の人というか普通の人がおもしろいと思っていたかどうかはわからない。

いかにも、たまのメンバーらしい言葉だった。【川田和博】

◆「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」 89年2月~91年9月までTBS系で土曜深夜に放送。出演バンドの演奏を審査員が「見たい」「見たくない」で判定。全員「見たくない」で演奏終了となった。毎週「イカ天キング」を決め、前週のキングと対戦。5週勝ち抜くと「グランドイカ天キング」となり、メジャーデビューが約束された。

◆たま 1984年、知久寿焼(ギター、ボーカル)柳原幼一郎(ピアノ、ボーカル)石川浩司(パーカッション、ボーカル)の3人で結成。86年滝本晃司(ベース、ボーカル)が加入し4人編成となる。95年柳原が脱退。03年10月解散。その後、知久と石川が所属する音楽グループ、パスカルズをはじめ、4人それぞれがソロとしても音楽活動中。石川は空き缶コレクターとしても知られ、3万缶以上所有。今年3月「懐かしの空き缶大図鑑」(東海教育研究所)を出版した。