東京オリンピック(五輪)が23日、開幕した。公式記録映画の監督を務める、河瀬直美監督(52)は18年秋の就任後、新型コロナウイルスの感染拡大による大会の1年延期など、激動の日々を見つめ、フィルムに刻み込んできた。大会開催までの道のりだけで、400時間超も撮影し、開幕後は各競技を追いかける河瀬監督に「五輪記録映画を作ること」について尋ねた。第3回は東京五輪公式記録映画と自身の劇映画に通底する、作品作りへの考え方。【取材・構成=村上幸将】

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河瀬監督が、東京五輪公式記録映画を製作する中で一貫して、口にするテーマは“つながり”だ。ただ、コロナ禍の中で大会が1年延期された上、政府や都の休業要請への不公平感や、施策への不満、進まないワクチン接種などに対し、生活を守って欲しいという国民の不満や怒りが「東京五輪など開催している場合か?」という怒りに発展し、国民の間に分断を生んでいる。その中で“つながり”を、どう描くか…河瀬監督の中には1つの明確なビジョンがある。

河瀬監督 じゃあ、あえて悪いところは見せないで、いいところで“つながり”を表現するのかというと、そうではなくて。私の映画の中でも、はっきりとした明確な勧善懲悪の表現はしてきていなくて。いろいろな社会のひずみだったりを描いています。

その一例として挙げたのが、15年の映画「あん」だ。どら焼き屋「どら春」の求人を見て応募した徳江は、刑務所暮らしの末、雇われ店長になった千太郎から、高齢を理由に1度は断られたが、作った粒あんがおいしいことから雇われた。店は行列が出来る人気店になったが、徳江がハンセン病患者だといううわさが流れ、客足が途絶え、状況を察した徳江は店を去った。

河瀬監督 例えば「あん」にしたって、ハンセン病患者である徳江さんにスポットを当てて作った。見えないところで、こんなに頑張っている人がいる、もしくは見えないところで、こんなことがあったから、この事態になった(ということを描いてきた)。東京五輪公式記録映画も、見えないところで、こんなことになったから、時代はこういうふうに転換したというものを見せていかないと、単なる表層的な仕事にしかならないと思っています。

「あん」と東京五輪公式記録映画が、線で〓(繋の車の下に凵)がった瞬間があった。「復興五輪」として野球・ソフトボールが開催される福島県会津若松市立第四中に、県営あづま球場でボランティアをする予定の先生を撮影に行った。そこには「あん」で徳江を演じ、18年に亡くなった樹木希林さんと、永瀬正敏、原作小説の作者ドリアン助川のサインと写真が飾られていた。3人は「あん」が公開された15年10月に同校で行われた上映会にサプライズで登場。昼食は中学生の食べる給食を食べ、中学生からの質問にも気さくに応じた。それから6年を経て、東京五輪公式記録映画の取材と撮影に訪れた河瀬監督も、3人のサインが書かれたポスターにサインを重ねた。だからこそ、福島県の無観客開催が決まった時は無念だった。

河瀬監督 緊急事態宣言は出ていないし、はぁ…何で福島まで、と思いましたね。そこまでは、ちょっと予測していなかったです。あづま球場は、ソフトボールの監督、選手たちも、そこで開幕することに誇りを持ってやっていました。(大会前に)宇津木麗華監督ともやりとりしていて「寂しいですね」くらいしか言えなかったですけどね。

人間や社会の、光の当たらない部分も見つめ、映画を描いてきた河瀬監督。今回の東京五輪公式記録映画でも、選手だけでなく、ボランティアを含めた大会関係者を幅広く取材してきた。どのようにまとめていくのか。

河瀬監督 私自身はバランスだと思う。出来るだけ選手、大会関係者の皆さんに、私自身を信頼してもらえる関係を作りながら、そこでこそ見えてくる物語をテーマにしていきたい。作品として、金メダリストじゃない人たちばかりを捉えるということでもなく…とはいえ、切り口として柔道だったら柔道、体操だったら体操という競技はある。そのカテゴリーに選手をはめるよりは、作品なので、競技を超えてブリッジしていくのがテーマ、というのがあるはずだから。つまりテーマ、コンセプトって一概には言えなくて、パンデミック下の現代という時代、人類を入れ込んだものにしていこうと思っています。

次回は、具体的な作品作りと、開催自体が危ぶまれた激動の日々を撮影する中で、河瀬監督を支えていたものが何かを語る。