東映は1日、元同社社長の高岩淡(たかいわ・たん)さんが10月28日午後2時23分、肺炎のため京都市内の病院で亡くなったと発表した。90歳だった。葬儀は家族葬として既に執り行った。後日、お別れの会を予定している。

高岩さんは1930年(昭和5)11月13日、福岡県生まれ。九大経済学部卒業後、54年に東映に入社し京都撮影所に配属。71年に取締役、京都撮影所長に就任し、78年に常務取締役、86年には専務取締役に就任し90年には東京撮影所担当も兼務。93年に社長、02年に会長に就任。06年に取締役相談役、10年には相談役に就任し、12年に退任した。

京都撮影所時代は、進行主任として60年「海賊八幡船(かいぞくばはんせん)」などの大川橋蔵主演作、および58年から始まった「一心太助」シリーズなどの中村錦之助主演作に携わった。また多くの俳優や監督と交流、親交を深め、製作者としては「柳生一族の陰謀」「青春の門」「序の舞」「極道の妻たち」シリーズ「激動の1750日」「わが愛の譜滝廉太郎物語」「鉄道員(ぽっぽや)」「おもちゃ」「男たちの大和/YAMATO」など数多くの映画を手掛けた。75年には国内初の映画テーマパークとなった東映太秦映画村を開村し、東映京都スタジオ代表取締役社長に就任した。

1995年(平7)8月には日本アカデミー賞協会会長に就任し、03年10月まで務めた。また、日刊スポーツ映画大賞においても、2010年代まで冒頭で祝辞を述べるのが恒例だった。

作家の檀一雄は異父兄で、壇の遺作「火宅の人」を86年に企画して映画化し、深作欣二監督がメガホンを取った。檀の長女で女優の檀ふみは姪にあたり、東映の72年「昭和残侠伝 破れ傘」で女優デビューし「火宅の人」にも出演した。12年には第46回牧野省三賞を受賞した。