元お笑いコンビ、ラーメンズの演出家、小林賢太郎氏(48)が1日、自身のnoteを更新し、過去に「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)」をネタにしていたことで、今年7月に東京オリンピック(五輪)・パラリンピック組織委員会から、事実上のトップとして束ねていた、東京五輪開閉会式の制作チームから解任された件について、自らの言葉で振り返った。

小林氏は「本番の前日に解任になるという出来事があり、ご迷惑をおかけしてしまいました。解任の理由は、二十数年前に演じたコントに不適切な表現があったからでした。これから本番を迎えようという現場に、ネガティブなニュースを添えてしまい、本当に申し訳ないことをしてしまいました」と、改めて謝罪の言葉をつづった。一方で「僕は、どういう感情でいればいいのか分かりませんでした。みなさんに合わせて、僕も悲しんだり怒ったりしたほうがいいのかなと思ったりもしました」と、複雑な思いが揺れた、当時の心中も吐露した。その上で「解任にこそなりましたが、努力も我慢も、できるかぎりのことはさせてもらいました」とした。

小林氏は、足が悪いため芸能界を引退したことを振り返り「昨年、肩書きの中からパフォーマーを外し、フリーランスになりました。つくり手としては25年目。まだまだです。舞台も映像も出版も展示も、これまで以上に上質なものを目指してまいります」と作り手としての抱負をつづった。その上で

「今年1月から、この『小林賢太郎のノート』が始まりました。表現を仕事にするということについての話や、森のアトリエでの出来事、たまにショートショート。ここは、自分の言葉を直接置いておける場所。しかも受け取ってくれる人がいる。なんだか手紙を書いてるみたいな気持ちでもあります」

「継続していたのは『ハナウサカイグリ』というペライチの漫画。1ページ読み切りって、とてもつくり心地がいいんです。限られた条件の中で表現を磨いていく楽しさ。俳句みたい。Twitterに「小林賢太郎のあそび」というアカウント名で、だいたい月に2回投稿しています。文章も漫画も、オリンピック・パラリンピックの制作期間が終わるまでは自分の時間がなくなることがわかっていたので、書き貯めておいて、できるだけペースを守るように投稿してました。」

と東京五輪・パラリンピック開催までの、自身の仕事について説明。その上で解任後、多くの励ましがあったことに感謝した。

「大会が延期になる前はパラリンピックの閉会式に呼んでいただいていましたが、今年は、オリンピックの開会式・閉会式と、パラリンピックの開会式をお手伝いしていました。本番の前日に解任になるという出来事があり、ご迷惑をおかけしてしまいました。(中略)その後、アトリエに帰ってきた僕に、いろんな人が連絡をくれました。みなさん、悲しんだり怒ったりしていました。気にかけてくださって、ありがとうございます」

小林氏は、複雑な心情に揺れたことは認めつつも「でも、そういう感情でいることで、作品を生み出せなくなってしまってはいけないし。僕は大丈夫です。解任にこそなりましたが、努力も我慢も、できるかぎりのことはさせてもらいました。ご心配をおかけ致しました」と立ち直ったことを強調した。

現在は新作に取り組んでいるという。

「9月。新作の準備に取り掛かりました。10月。僕が朗読を担当させてもらった松浦弥太郎監督の映画『場所はいつも旅先だった』の公開が始まりました。収録は昨年でした。一人用の録音ブースに座り、目の前に次々と現れる旅先の映像に声をあてるのは、とても楽しかったです。まるで乗り物に乗ってるみたい。以前、自分のテレビ番組で『部屋を一歩も出ずに世界を旅する方法』というのをテーマにしたことがありました。こんな形で松浦さんに叶えてもらえるとは。またひとつ、好きな映画が増えました」

「11月。アトリエにこもる日々です。つくりたいものを、つくりたいつくりかたでつくっています。やっぱり僕にとって、つくることは生きることです」

その上で

「2021年は、まだ1ヶ月ほどありますが、僕にとってはここらが気持ちの一区切りだったので、いったん振り返ってみました。1年間かけて細胞が入れ替わっていく喜びを感じています。明日も、今日より面白いものをつくれる自分でいられるよう、一日一日を大切に積み重ねていきます。というわけで、作業に戻りますね。寒くなってきましたが、みなさま風邪などめされませんように。

2021年12月1日 小林賢太郎」(原文のまま)

と現在の率直な思いをつづった。