今年10月の衆議院選で、たくさんの落選議員が生まれた。TBS系「サンデージャポン」(日曜午前9時54分)で“薄口政治評論家”の肩書でコメンテーターを務める杉村太蔵氏(42)は、05年の郵政総選挙で“小泉チルドレン”として初当選。直後に「料亭に行きたい」「BMWに乗りたい」と発言して謝罪会見。次の総選挙で自民党公認を得られず政界を去った。だが今、タレント、投資家としても大成功。波瀾(はらん)万丈、痛快、大笑いの逆転人生について聞いてみた。【取材・小谷野俊哉】

マルチに活躍する杉村太蔵氏。逆境に置かれてもポジティブで一生懸命な姿は、自然と人を引きつけると感じました(撮影・鈴木みどり)
マルチに活躍する杉村太蔵氏。逆境に置かれてもポジティブで一生懸命な姿は、自然と人を引きつけると感じました(撮影・鈴木みどり)

★きっかけは玉置浩二結婚ネタ

薄口政治評論家の杉村氏は、熱い口調でまくしたてる。

「『サンジャポ』のおかげで。人生大きく変わりました。衆院議員辞めて、翌年に参院選出馬して落選し、女房子供抱えて無職になってしまった。あせりと不安の中で、ある日、携帯に“こちら、TBSの『サンデージャポン』でございます。今まで太蔵さんを一方的に報じてきましたが、ぜひスタジオに来て、好きなこと言ってください”と」

2010年10月10日だった。

「旭川の先輩の玉置浩二さんと青田典子さんの結婚ネタ。郷土の偉大な先輩を『おめでとうございます』と、私なりに盛り上げようと熱くしゃべった。そうしたら司会の太田(光)さんから『お前、薄いな』って言われたんですよ。でも、番組スタッフからは『良かった。来週も来て』って」

翌週、「前衆議院議員」の肩書が「薄口政治評論家」に変わっていた。

「いつか変えてくれと言おうと思ってたら、まあね大ヒット商品ですよ。(笑い)。人間、何が評価されるか分からない。太田さんに『お前、薄い。薄口政治評論家』と言われて、キャラ確立されて、今の私があります。もう番組には、感謝しかありません」

高校時代はテニスで国体優勝。筑波大体育専門学群に6年通ったが、単位が足りずに中退。その後は派遣会社に登録して、オフィスビルの管理をする会社へ。そこでトイレ掃除中にドイツ証券の人間に誘われた。

「本当に必死。自慢じゃないですけど、僕の清掃が終わった後のトイレは、布団を敷いて寝られる。それくらい、きれいにしました。それで『うちに』と。外資系の証券会社にとは言っても、やってる業務はコピー取りとか雑務係」

1年数カ月後、幹部らに呼ばれた。

▼▼後編、幹部から与えられたビッグミッションから逆転人生▼▼

「頑張っているから、ビッグミッションを与えてやると。それが、05年8月7日ですよ。小泉(純一郎)さんの郵政解散の時。選挙の動向を調べろというので、自民党のホームページにぶち当たったら候補者を公募していた。論文のお題は『郵政民営化と構造改革に対するあなたの考え方』を1600文字。立候補よりも、小泉さんへのファンレターぐらいの気持ち。部長や機関投資家が言ってることをまとめて、最後に『私もそう思います。小泉さんも頑張ってください』と書いて送りました」

2日後に自民党本部から電話がかかってきた。

「『あなたの論文、素晴らしい。今すぐ党本部に来られますか』って。『もちろん、5分で参ります』って、会社が隣だった(笑い)。そして5回の面接、3回の論文試験で自民党の公認候補。『ただ比例の下の方で、100%落選します。いい経験になるとは思います』と。会社には休暇願を出して辞めませんでした」

それが自民党圧勝で、比例南関東ブロック35位で当選。浮かれて「料亭」「BMW」発言が飛び出した。

「本当に申し訳なかった。取材でポロっと『料亭に行ってみたい』と言ってしまった。政治家といえば料亭のイメージがあった。それまではサラリーマンで給料日が25日。20日すぎたら、どうやって食べていこうという中で、急に国会議員でしょ。だからね、思わず『料亭』って。車だって好きな車種を聞かれたから、BMWって。もう日本全国から大バッシング」

当選から17日後、奔放発言の謝罪会見を開いた。

「バッシングがひどくて、やらないと収まらないだろうと」

次の選挙で公認されず、09年7月の衆院解散で1期で退任。06年に結婚して、娘が生まれていた。

「実は、議員を辞めてカナダのバンクーバーに家族で移住したんです。議員の時に歳費を無駄遣いしなかったんですけど、収入が絶たれた。何やっていたかというと、デイトレード。株と為替の。めちゃくちゃ稼いだ。もう一日中、パソコン5台体制で1年近く。多分、稼いだのは数百万どころじゃない。32階の高層マンションで2ベッドルーム、2バスルームのところに住んでました。子供はまだ2歳。僕の人生で、このバンクーバー時代が1番楽しかった。本当に心がリフレッシュした。それで帰ってきた」

帰国して10年6月に「たちあがれ日本」から参院選に出て落選、無職。

「またバンクーバーに行く選択もあったんですけど、投資というよりギャンブルみたいなものだから、いつまでも続けられない。人生で本当に困ったのは大学中退した時と、この時。そこへサンジャポの話が来た」

経済のプロでもある。投資家、実業家としても実績がある。

「ドイツ証券で雑用をしながら勉強させてもらったのが役に立っている。でも、求められているのはタレントとして。そこはビジネスですね」

「サンジャポ」で司会を務める爆笑問題の太田光(56)は、10月の総選挙特番で落選危機の甘利明自民党幹事長に「ご愁傷様」と発言し炎上した。

「ダメでしょ! 古今東西、世界中の民主国家で選挙特番でMCが炎上したのは太田さんだけ。ただね、もう1回、選挙特番のMCをやってほしい。選挙特番では、公約を実行できてるかを聞くのがいい」

活躍を喜んでくれる人たちがいる。今でも小泉純一郎元首相(79)や武部勤元自民党幹事長(80)とは会うことがある。

「たまに声かけてもらって、ありがたいことですよ。武部さんから『今、小泉総理と飲んでるから来い』と電話がかかってくる。小泉さんも喜んでくれて『大したもんだ、最近貫禄出てきたぞ』って。これね、一緒に撮った僕の宝物の写真です。あの調子で『分からないもんだなー』って」

日本の政治を動かしてきた重鎮たちに現在の活躍ぶりを祝福される杉村太蔵氏(左から4人目)。左から元首相の小泉純一郎、元自民党幹事長の中川秀直、同二階俊博、1人おいて同山崎拓、同武部勤の各氏(杉村氏提供)
日本の政治を動かしてきた重鎮たちに現在の活躍ぶりを祝福される杉村太蔵氏(左から4人目)。左から元首相の小泉純一郎、元自民党幹事長の中川秀直、同二階俊博、1人おいて同山崎拓、同武部勤の各氏(杉村氏提供)

「サンデージャポン」でも出会いに恵まれた。テリー伊藤(71)デーブ・スペクター、爆笑問題。

「テリーさんからは、最初に『物事をね、いろんな角度から見なくちゃだめだ。討論で終わるな、解決策を言え』とアドバイスしてもらえた。デーブさんは、あんなにグローバルなインテリジェンスはいない。CIAの回し者じゃないかと思う。アメリカ大使館、ホワイトハウスに入れる人ってなかなかいない」

★夢は母校で80歳学位

爆笑問題の太田と田中裕二(56)は恩人。

「生涯をかけて感謝、このご恩を返していきたいと思っても、返しきれないほど本当にありがたい。おふたりとも大人格者。2人がスタッフにきつく当たってるとか見たことがない。全くタイプが違うようで似てるしね。素晴らしいリーダーですね」

まだ、夢がある。

「80歳くらいになったら、また筑波大に通って学位を取りたい。80歳でトレーニングしたら、どれくらい効果があるとか研究してみたい。これが望みです」

失敗してもまたチャンスはやってくる。それを体現している。

▼「サンデージャポン」司会の太田光(56)

小泉チルドレンとして出てきた時から、すぐに食いついたけどテレビ的だった。テレビが好むキャラクターで、テレビ映えする。なかなか稀有(けう)な存在だと思う。今でも、かつての自民党の重鎮にかわいがられているし、人たらしの部分もある。だけど、テングになったりはしない。真面目で、いつも本当に腰が低い。こっちが望む通りの役割を果たしてくれて、言葉に詰まったり、政治家口調で空演説したりね。ホリエモンと対決した時も、しっかり言い負かされてましたけど、ホリエモンも『頭いいね』と感心していました。選挙特番で、僕が炎上した時は、楽屋までやって来て『何、やってるんですか!』って怒られました(笑い)。将来的には、あんまり期待させないキャラですが、でもなんていうか、また政治家にならない方がいいね。

◆杉村太蔵(すぎむら・たいぞう)

1979年(昭54)8月13日、北海道旭川市生まれ。市立札幌藻岩高から筑波大体育専門学群入学も中退。05年の衆議院選挙で比例南関東ブロックで当選。09年の衆議院選挙は公認されずに不出馬。180センチ。血液型O。