1963年(昭38)に「野のユリ」(ラルフ・ネルソン監督)で、黒人として初めて米アカデミー賞主演男優賞を受賞した米俳優シドニー・ポワチエさんが亡くなったと7日(日本時間8日)米国の主要メディアが一斉に報じた。94歳だった。

ポワチエさんは、バハマ人の両親が滞在中の米国マイアミで生まれた。米国籍を得た後、バハマに帰国も、10代で米国に戻り、陸軍で勤務。その後、ニューヨークに渡り、舞台を志すと、アフリカ系米国人の劇団に入り、46年にブロードウェーデビューを果たした。

徐々に知名度を上げ、55年「暴力教室」の生徒役が話題を呼ぶと、58年「手錠のままの脱獄」でベルリン映画祭銀熊賞(男優賞)を受賞し、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。当時は主要キャストは白人の俳優が中心で、黒人俳優は脇役や労働者の役にキャスティングされることが多かったが、ポワチエさんはそうした立ち位置を拒み、知性的な役を求め、主要な役を演じる唯一の黒人俳優となった。当時、ポワチエさんが「ハリウッドのスタジオで、黒人は私だけだった」と語った言葉は、後世に語り継がれている。

そして「野のユリ」で、放浪中に通り掛かった米アリゾナの砂漠で、修道女に依頼され教会を建てるのを手伝った黒人青年のホーマー役を好演し、アカデミー賞とゴールデングローブ賞で主演男優賞を受賞した。ポワチエさんの後、アフリカ系米国人でアカデミー賞主演男優賞を受賞し他俳優は、02年「トレーニング デイ」のデンゼル・ワシントンまで現れなかった。

70年代以降は監督業にも挑戦し、97年からは10年間、故郷バハマの駐日大使を非常勤で務めた。01年にアカデミー賞名誉賞、09年には米国の民間人への最高栄誉賞である大統領自由勲章を受章。一方で13年には、カリフォルニア州ビバリーヒルズにある自宅で転倒し、頭を打ち、重傷を負ったと報じられた。

ポワチエさんの死去は、家族が米主要メディアに伝えたという。