妻宮川花子(67)が血液のがんの一種、症候性多発性骨髄腫で闘病中の漫才師、宮川大助(72)が23日、大阪市内で、患者と医師のコミュニケーションを促進する「こころと話そうプロジェクト」発表会に出席した。

寛解状態で落ち着いている花子の近況を伝えるとともに「花子は必ず帰ってきます」と力強く約束した。

花子は19年6月、多発性骨髄腫と診断。以来「介護男子」として、妻、娘と暮らす大助は「数値が上がったり下がったりでしたけど、今日はドーンと(いい状態に)下がって、元気に『行ってらっしゃい』と送り出してもらった。舞台の上と同じ声でした」と、妻の様子を伝えた。

3年目に入った闘病生活は投薬治療、リハビリと続き、今後も定期的な化学療法などが必要だ。ただ、3月半ばには寛解状態となっており、大助は「朝、女房の『おはよう』で起きる。その日常が幸せです」と感極まったような表情で口にすると、すぐさま満面に笑みを浮かべた。

夫妻は76年4月に結婚。花子は、長女さゆみを出産後、先輩大助の指導で漫才の稽古に励み、2人は夫婦漫才として活動。夫婦の歴史は、夫婦漫才の経歴でもあった。大助は「今まで大助・花子として生活してきたけど、今は(本名の松下)孝美・美智代の生活をしています」と言う。

今プロジェクトは、寛解後も再発、再び寛解…と長い闘いが続く多発性骨髄腫の患者と、医師側の信頼関係を築こうとするもの。その一環で「少し先の自分に手紙」を書く試みがある。

入院当初は「握力ゼロ」で、手を握ることもできなかった花子だが、今は10キロほどまで握力も回復。趣味の手芸も再開しており、この日も得意の絵を添えてメッセージを寄せた。

花子は「少し未来」の自分へ向けての手紙に、リハビリを経て少しずつ握力が戻り、ペンを握ることができるようになったと報告。折しも、コロナ禍との闘いもあり、自分への手紙には「コロナも終息して、今は映画を見て、楽しくショッピング、お芝居見て、食事会。仲間とわいわい騒いでいるんでしょうネ」などと、日常を取り戻すべく、闘う覚悟をしたためた。

現在もすでに、講演活動の依頼はあり、達者なしゃべりの「花子節」は健在なだけに「お仕事、講演会にて、病気体験談、自慢げに話しているんでしょうね」とつづり、復活への強い意欲をのぞかせていた。