歌手松田聖子(60)が9日、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪でディナーショーを開催した。

昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さんが35歳の若さで急逝。以来、芸能活動を休み、悲しみと向き合ってきたが前を向くことを決意。娘との思い出の曲「上を向いて歩こう」などを熱唱した。112日ぶりにファンの前でマイクを握り、歌手活動を再開した。

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2曲を歌い終えた後、会場を埋める700人以上のファンに聖子が静かに語り始めた。「私の娘は昨年12月18日、天国に旅立ちました」。会場から「言わないでっ」の声も飛ぶ中、沙也加さんの思い出に触れながら「これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌ってまいります」と涙ながらに宣言。「ファンの皆さんへの感謝の気持ちを忘れずに精いっぱい歌います」と力を込めた。

あいさつ後に歌ったのは坂本九さんの「上を向いて歩こう」だった。11年のNHK紅白歌合戦で初めて母娘でテレビ初共演をし、デュエットをした思い出の1曲。当初は異なる曲を予定していたが急きょ入れ替えた。「天国に届け」との思いを込め、時折おえつで声を詰まらせながら歌いきると、あちこちからもらい泣きの声が漏れた。

沙也加さんが亡くなった夜。聖子は都内のホテルでクリスマスディナーショーを開催。終演後に訃報を知らされると人目をはばからず号泣した。翌日以降に東京や大阪で予定していたディナーショーなど仕事は全てキャンセル。大みそかの紅白歌合戦出場も辞退した。この日のディナーショーは、その振り替え公演だった。

聖子は先月、ファンクラブ会報に「あまりの悲しさに、前に進んでいくことはもうできないとさえ思っていました」と悲痛な思いをつづっていた。娘の死から2カ月が過ぎたころ心境の変化があったという。「沙也加はもっと歌いたかっただろうな…」との思いが心をよぎり「そうしたら、私が、こんな風に悲しんでいるだけではいけない。前を向いて進み始めないといけないって思った」「これからは彼女の分まで歌っていきたい」と記した。

4月からデビュー42周年。「これからも、気合を入れて一歩一歩進んでいきます」。歌うことが好きだった愛娘の思いを胸に、聖子は再びステージに立った。

◆松田聖子(まつだ・せいこ)1962年(昭37)3月10日、福岡県生まれ。80年に「裸足の季節」で歌手デビュー。同年の「風は秋色」から88年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコン週間ランキングで1位獲得の記録を持つ。13年に日本武道館で100回公演を行い、女性アーティストの新記録を達成。女優としては81年「野菊の墓」で映画デビュー。12年のNHK大河ドラマ「平清盛」には異例の2役として出演した。米国でも歌手、女優として活動。血液型A。

<沙也加さんの急逝と聖子>

▼21年12月18日 神田沙也加さんが札幌市内のホテルから転落し、外傷性ショックで死去。聖子は都内で開催したディナーショーの終了後に知らされた。

▼同19日 聖子が都内でこの日予定していたディナーショーを急きょ中止。23日から大阪でのショーも中止にした。

▼同21日 札幌市内で沙也加さんの葬儀。聖子は元夫の神田正輝とともに取材に応じた。聖子は「本当にみなさん、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」。

▼同25日 25回目の出場が決まっていたNHK紅白歌合戦辞退を発表。

▼22年3月8日 6月から全国ツアーをスタートさせると発表。また中止となったクリスマスディナーショーの振り替えとして4月9、10日に東京で、5月5~7日に大阪でディナーショーを開催すると発表。