中華の鉄人が天に召された。日本でマーボー豆腐を広めた伝承者で独創的な中華料理を作る料理人の四川飯店グループ会長の陳建一(ちん・けんいち)さん(本名東建一=あずま・けんいち)が11日午後0時7分、都内の病院で間質性肺炎で亡くなった。67歳。東京都出身。

四川飯店を運営する「民権企業」によると、家族に見守られながら静かに息をひきとったという。葬儀は12日に近親者だけで行い、長男建太郎さんが喪主を務めた。お別れの会に関しては「期日や場所は未定ですが、多くのファンのみなさまにおいでいただける会を考えております」(民権企業広報担当)。

陳さんは、ここ数年、呼吸が苦しくなる間質性肺炎を患い、昨年は入退院を繰り返していたという。最後に厨房(ちゅうぼう)に立ったのは昨年12月末、マーボー豆腐に特化して昨年11月30日にオープンした「四川飯店麻婆豆腐代々木」。調理人の1人として中華鍋をふるったという。

93年から放送されたフジテレビ系統バラエティー番組「料理の鉄人」で軽妙なコメントと迫力ある鍋さばきでブレークした。黄色い調理ウエアに身を包み「黄色は皇帝カラーなので素晴らしい。おいしい料理を紹介したい」と中華の枠にとらわれない調理法を披露していた。

生放送のNHK「きょうの料理」の講師を長年担当。予定通りのレシピに突然ひと味加えるなどサプライズ好きで、テレビカメラに向かって舌をペロリと出す豊かな表情も人気だった。番組やイベントでも多く共演したイタリア料理の落合務さん(75)は「僕の料理イベントにカツラをかぶって変装して出演。番組企画でもないのにドッキリを仕掛けて喜ぶ一方で、中華料理の極意も気軽に教えてくれたり度量は大きかった。一緒にいるだけで楽しい人だった」と思い返した。

ゴルフ好きでも知られ、盟友で日本料理の重鎮、道場六三郎さん(92)は「陳さんの手帳をのぞいたら(1カ月のうち)25日ゴルフという月もあった。明るいだけじゃなくて料理もゴルフも真面目だった」と話した。陳さんが1990年に34歳で社長に就任し、2015年に健太郎さんに引き継ぎ会長になったことについて「料理をどう引き継いでいくか。そして現場で中華鍋をふるうことにこだわった本物の料理人だった。残念です」と突然の旅立ちを惜しんだ。【寺沢卓】

◆陳建一(ちん・けんいち)1956年(昭31)1月5日、東京都生まれ。玉川大卒後、「四川料理の神様」と呼ばれた父建民氏の経営する赤坂四川飯店に入社。90年、34歳で2代目社長となり15年に会長就任。13年に黄綬褒章。日本中国料理協会会長も務めた。