12歳の時に舞台「鐘の鳴る丘」で俳優デビューして映画、テレビ、ラジオで活躍、今年で芸能生活76年目を迎えたタレント毒蝮三太夫(87)が新書「70歳からの人生相談」を出版した。本名の石井伊吉(いよし)として活躍しながら、1968年(昭43)12月に毒蝮三太夫に改名した理由を聞いてみた。
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毒蝮に改名を勧めたのは、2011年(平23)に亡くなった盟友の落語家立川談志だった。TBS「ウルトラマン」の科学特捜隊アラシ隊員役で、子供たちの人気者になっていた67年1月から、談志が司会を務めていた日本テレビ「笑点」に座布団運びとして出演していた。
「談志がね、怪獣物でウケて知られちゃっているけど、お前は普段面白いんだから、こうなれよって言うんだよね。それで毒蝮ってつけられてやった。談志はつけた俺も俺だけど、お前もお前だって言っていたよ(笑い)。俺にとっては『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』に出たことは大いにプラスになったけど、アラシ隊員、フルハシ隊員が毒蝮になるとは誰も思わなかっただろう(笑い)」
今年3月に87歳になった。
「今まで、大病を2回。70歳になる直前に腸閉塞(へいそく)で、41日間入院した。でもね、生きて帰ると思ったね。死ぬとは思わなかった。ただね、お世話になった小林桂樹さんが86歳で亡くなって、永六輔さんは83歳、談志は75歳だからね。その年を越している。談志は今年が13回忌だから。そういう意味ではね、俺、自分は死なねえんじゃないかなと思っている。年をとって、病気が全然ないでしょ。それなりに疲れてるけど、朝起きて腰をストレッチすると動ける。ただ、目が見えなくなったり、動けなくなったりする時は、いずれ来ると思うんだよ。今日は動けないやっていう日が、もう87歳だからいずれ来る」
いずれ来るであろうXデーだが、毒蝮の場合はまだまだ先になりそうだ。
「うちのカミさんは、もうあんまり仕事をするなって言っている。こんな本を書いたりしないで、家にいなさいって。これが50年、60年変わってない。うちのカミさん、うちに俺がいることが好きなんですよね。でも俺は、こうやって出てくるから。ラジオの仕事とかで、朝早く出たりもする。今も運転をしてるけど、この間も免許を更新して、3年後は90歳だ。だけど、あんなものは個人差だからね。それはね、その年なりにはいろいろあるよ。だから、この本(『70歳からの人生相談』)じゃないけど、ある意味で俺は見本になろうと思っている。皆さんが会った時に、ああいう毒蝮みたいになりたいなって思ってくれればね。若い人からも喜ばれる、老害のない年寄りがたくさんできればいいなと思うね」
ラジオのロケ先で、お年寄りを「ジジイ」「ババア」といじって笑いを取る。
「ジジイがバーッと出てきて、めんどくせーなとか言ってたんですけど、みなさん喜んでるじゃないですか。最初の頃は、俺としては上等語で、いつもおふくろに言ってたりしてたんですよ。最初に言った時はそりゃあ、周りは凍り付きましたよ(笑い)。ただ、あれは俺だけのシーンだよ。他の人はダメですよっていうことは、若い芸人や大阪から来る吉本なんかの芸人にもね、言ってる。まあ、伝統芸術かね。もうね、俺だけのものだってことだよ」
(続く)
◆毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)1936年(昭11)3月31日、東京生まれ。48年に本名の石井伊吉(いよし)で舞台「鐘の鳴る丘」で俳優デビュー。51年「青い真珠」で映画デビュー。57年日本テレビ系「坊ちゃん」でドラマデビュー。59年日大芸術学部映画学科卒業。66~67年TBS系「ウルトラマン」で科学特捜隊のアラシ隊員。67~68年同「ウルトラセブン」でウルトラ警備隊のフルハシ隊員。68年日本テレビ「笑点」出演中に立川談志の助言で本名から芸名を毒蝮三太夫に改名。69年TBSラジオ「ミュージックプレゼント」スタート。170センチ。78キロ。血液型O。



