タレント山田雅人(62)が、来年1月9日に東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターで、放送作家高田文夫氏(75)がプロデュースする芸能生活40周年記念「山田雅人 かたりの世界」東京公演を行うことが28日、分かった。ゲストに高田氏と松村邦洋(56)を迎える。「高田先生が、俺に任せろって言うから詳しいことはお任せします(笑い)。今年は野球の年ですから阪神、WBCの優勝をネタに語り尽くします。松ちゃんは自分のネタ以外に岡田彰布、野村克也、吉田義男の歴代監督や掛布雅之さんのものまねでアドリブで参加してもらうことも考えています」と話している。

山田の「かたり芸」が確立したのは2009年(平21)のこと。94年に関西から上京して「上岡龍太郎にはだまされないぞ」やTBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」のレギュラーとして活躍してきた。バラエティー出演時には、オグリキャップやテンポイントなどかつての名馬の語りを名調子で披露していた。「それを高田先生が『ちょっと待て。俺、競馬のこと分からないから、俺に楽しめる語りの芸を作ってくれ』と。西鉄ライオンズの稲尾和久投手をリクエストされたんです」。

かつて西鉄ライオンズのエースだった“鉄腕”稲尾は1958年(昭33)の日本シリーズで、巨人を相手に3連敗の後に4連投4連勝して「神様、仏様、稲尾様」と奉られた。山田は「新人だった長嶋茂雄さんと対決したらしいんですよ。そこを『お前が作って俺に聞かせろ』と。で、以前、ABC『おはよう朝日です』のスポーツコーナーで一緒だった稲尾さんご自身に話を聞いたり、長島さんの生まれ故郷の千葉県佐倉市まで取材に行って作り上げました。それで、09年の年賀状に『完成しました』と書いて出したわけです」。

すぐに、高田氏配下の芸人、春風亭昇太現落語芸術協会会長(63)から電話がかかってきた。「まだ、そんなに偉くなってない昇太さんが『高田先生に言われて下北沢の劇場を2日間押さえたから』って。3月の17、18日でした。今回ゲストの松村君も見に来てくれて、その4日後の東京マラソンで倒れて心肺停止になって生死の境をさまよいました。イチローの活躍で、日本がWBCに優勝した年でした」と振り返る。

大阪では11月13日に笑福亭鶴瓶(71)をゲストに迎えて行う。大阪と東京では、テイストの違ったものになりそうだ。山田は「阪神ネタは現在進行形で優勝物語になるのか、日本一物語になるのか楽しみですね。僕の語りの特徴は、対象をじっくりと取材すること。WBCは今年2月に日本代表を宮崎キャンプで取材していますからネタはバッチリです。取材を元にするから、タレントご本人から節目の時にリクエストが来ることがあるんですよ。4年前のビリーバンバンさんの50周年、今年はフジコ・ヘミングウェイさんを語りました」。

会場の紀伊國屋サザンシアターは、日刊スポーツ主催、高田氏プロデュースの「我らの高田“笑”学校」でおなじみのホール。山田は「僕にしたら高田“笑”学校でお世話になったホール。高田先生プロデュースの40周年は、ここしかないと思ってました。僕が語り、松ちゃんがものまねで語り、最後は先生と3人で40年の締めの語りをやる感じですね」と話している。

元々はフォークシンガー志望。大阪学院大時代には、大阪のライブハウスで火曜日が「酒と泪と男と女」の河島英五、水曜日がブルースバンドの憂歌団。そして木曜日が山田とキャリアも知名度も違うスターと並んでレギュラーを務めた。「オーディションは英五さんに見てもらって、しゃべりが面白いからと木曜日にしてもらいました(笑い)。歌と歌の間に競馬中継とかをやって『こいつだ』っていう英五さんの鶴の一声で」。

しゃべりの面白さが松竹芸能の社員の目に留まりスカウト。1983年(昭58)に「第1回松竹芸能タレントオーディション」に合格して所属、プロになった。「松竹芸能の同期が森脇健児。そして吉本のNSC1期生のダウンタウン、ハイヒール、トミーズとか、あの辺が同期です」。

漫才コンビ、若井ぼん・はやとの若井はやとに弟子入りしてピンで活動。84年に関西テレビ「鶴瓶と花の女子大生」、そして89年(平元)にはフジテレビ「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」のサブ司会に抜てきされた。「大阪では鶴瓶さん、東京では上岡さんにお世話になりました。上岡さんは、すごく筋を通す人でした。一人芝居やっていて、必ず『本当はお前がこれをやらなきゃいけないんだ』って言われました」と振り返った。

「上岡龍太郎には-」の収録で、毎週末に上京する度に高田氏のところに顔を出した。「30歳の時に、阪神を引退したばかりの掛布雅之さんと高田先生とトークショーを大阪でやったんですよ。それでかわいがってもらって『独立したいんですけど』と言ってたんです。94年、34歳の時に高田先生が『もう東京に出てこい。食えなかったら俺の家で飯食ったらいいよ』って言ってくれて、上京して『渡る世間は鬼ばかり』とかに出るようになりました」。

高田氏が山田に「かたり芸」をリクエストしたのは49歳になる年。「50歳になる直前で、新しい芸の道を開いてもらいました。これからも恩返しをして行ければ」と話している。

◆山田雅人(やまだ・まさと)1961(昭36)年1月22日、大阪府生まれ。83年「第1回松竹芸能タレントオーディション」に合格して芸能入り。94年上京。97~07年にTBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」レギュラー。家族は妻と娘。174センチ。血液型O。